祭りの後の・・・

バンクーバー冬季オリンピックが終わってしまって、楽しみがひとつ減ってしまった。
2月15日からの2週間は、ニュース以外に滅多にテレビを見ない私がテレビに釘付けになったり、インターネットや新聞のオリンピック情報をあちこち見たりして、太平洋の反対側に居てもオリンピックを楽しんでいた。

オリンピックは4年に一度しかない祭典なので、やはり特別である。
W杯や世界選手権で活躍する選手たちも、この4年に一度のお祭りでメダルを獲得することに格別な思いを抱いているに違いない。
例えばフィギュアスケートについては、毎年世界選手権は開催され、グランプリシリーズもあって、一年に何度も世界の一線級の選手たちが集まって競っている。それらを観戦するのも楽しいのだが、今回のオリンピックに賭ける意気込みや期待はさらに上を行き、テレビで観戦する私たちにも選手たちの緊張が伝わってきた。
男女揃ってシングルでは、日本人選手たちは大活躍だった。

これだけの大きなスポーツの祭典だから、個人の争いというよりも国の争いみたいになってくる。
東西冷戦の時代には、ソ連や東独のステートアマの選手たちが国の威信を背負ってオリンピックに送り込まれて、アメリカなどの西側諸国とのメダル獲得競争は非常に激しかった。
最近はそれほどの緊迫した競争はないが、それでも国別のメダル獲得表が毎日のように新聞に載り、メダルを獲得した選手たちは必ずといってよいほど自国の国旗を身につけて喜んでいる。
今回の冬季オリンピックは、開催国カナダが最大の13個の金メダルを獲得して、大躍進だった。地元の利が働いたのだろうか。
金メダルではカナダに及ばなかったものの、総メダル数ではアメリカ合衆国がトップだった。ノルディック複合という一時期日本が得意とした種目で、ノルディックではマイナー国だったアメリカがメダルを多数獲得したのを知って驚いた。
韓国や中国の選手が大活躍していたのに対して、今回のオリンピックで影が薄かったのは、何と言ってもロシアだった。どうもロシア国内では、今回の「惨敗」の責任がスポーツ担当の大臣の進退問題にまで発展しているようである。次はロシアのソチでオリンピックが開催されるので、ロシアはきっと巻き返しを図ってくるだろう。

4年後の次のお祭りで、表彰台の中央で満面の笑顔を見せられるよう、今回出場して結果を出せなかった選手、出場できなかった選手、そしてこれから一線級になろうかとする若手の選手たちが、今日もトレーニングに励んでいることだろう。

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キッザニアという仮想街で

子どもたちをキッザニア甲子園に連れて行った。
息子は2回目だが、娘は初めてだった。もうすぐ小学校を卒業する娘は、バラバラの中学に進学する友達とのなごりを惜しんで、ひんぱんに遊びに誘われたり誘ったりしている。今回も、娘は友達数名とワイワイと自由に行動して、私は息子につきあった。

キッザニアが日本に上陸して最初に東京でオープンした時に、夫が新聞でそのコンセプトなどを読んで興味を示し、そのためだけに子連れで上京しようとしたことがある。残念ながら、すごい人気でなかなか予約が取れずに断念した。
しかし、約1年前に2号店が地元の甲子園球場近くのショッピングセンターに併設されるかたちでオープンしたので、簡単に行けるようになった。

キッザニアは、よく「職業体験型テーマパーク」と呼ばれている。
子どもがいろいろな仕事の真似事をするのは昔からあったが、キッザニアがユニークなのはその「仕事」に対して対価が得られて、そのお給料を貯めれば、何かサービスの購入に使えるというしくみである。「キッゾ」という通貨がその対価として支払われて、銀行にキッゾを預けることもできる。
キッザニアは架空の街で、そこには警察、消防、救急、裁判所、病院などの公共サービスから、ベーカリー、ピザ屋などの商店、鉄道、テレビ局、劇場など、「街」を支えるさまざまな施設と仕事があり、それらを体験するのである。
なるべくリアルに体験できるよう、食品は食べられる本物を作るし、電車の運転はさすがにシミュレーターだが車両や運転席は本物の阪神電車を用いている。
もちろん「おままごと」の領域から出られないようなパビリオンもあるし、これが「職業体験」と言えるかどうかわからないが、遊園地などとは違う体験ができるので、面白い施設だと思う。

子どもももちろん楽しいようで、午後の第二部で入場した4時前から閉館の9時まで、軽く食べた以外はずっとあちこちを回っていた。
息子は、2回目となる阪神電車運転、全日空のパイロット体験、警察、消防署などを体験し、知人から「やっぱり男の子ねぇ」と言われていた。何か作る仕事を全くしないというのも珍しい。一方、娘はホテル、ベーカリー、ファッションブティック・・・とサービス業がメイン。同じ施設内に5時間いても、一度も同じ体験をしていないところが笑える。

キッザニアでは、大人は単なるカメラマンでしかない。何もしないし、できないが、子どもの引率のために一緒に入場する。料金が子どもより大人が安いのは当然なのかもしれない。

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国境越え

日本は島国である。
よって、隣国に行くのでさえ、必ず飛行機か船かに乗って海を渡らなければならない。

日本人にはあたりまえのことだが、地球儀を回してみると、「必ず海を渡らなければ隣国に行けない」という国は案外少ない。
ヨーロッパ諸国は地続きなので、鉄道でも車でもどんどん隣国へさらにその隣へと行くことができる。移動距離はもっと大きくなるが、中東でも東南アジアでも南米でもそうだろう。日本人にとって、陸路での国境越えは、他所の国に行かないと体験できないことである。

大学生のときに、夏休みにバックパッカーとして欧州を貧乏旅行した同級生たちの話を聞くと、異口同音に国境を越えたときの体験が面白かったと言っていた。
「あっけないほど簡単に国境を越えた」というのが、大半の感想だった。日本人にとって隣国に行くことは大掛かりなことだから、ついつい大仰に考えてしまうのだろう。
そんな話に羨ましくなり、いつかは私も陸路で国境越えをしてみたいと思っていた。
それ以来20年あまり、残念ながら、未だヨーロッパで陸路で隣国へ移動する経験はしたことがない。

しかし、アメリカとカナダの間の国境は車で3回、カーフェリーで1回越えたことがある。
車の3回の内、ナイアガラでアメリカ滝を見てからカナダ滝側へ回るという団体観光でも実施される国境越えを除いて、1回は西海岸のシアトルからI-5(インターステイト・ハイウェイ5号線。西海岸をカナダ国境からメキシコ国境まで縦断)を北上して、国境を越えて今オリンピックを開催しているバンクーバーまで走った。
そして、もう1回はもっと珍しいルートで、おそらく日本人観光客はほとんど通らないだろう。ニューイングランドを通るI-89を走ってバーモント州からモントリオールに行くときに国境を越えた。

I-5の北の終点とは言っても、高速道路がそこで終わっている訳ではなく、料金所のようなものがあるだけ。ワシントン州などの合衆国のナンバープレートをつけた車は、そこを減速するだけでどんどん通り抜けていった。ときどきカナダのブリティッシュコロンビア州のナンバープレートの車も帰国するために通っていた。
夫と私は横にある建物の前に車を止めて中に入り、いちおうカナダの入国審査を受けた。とは言っても、何日カナダにいるのか、どこに泊まるのか、程度の質問に答えただけで、あっさりとパスポートに入国スタンプを押してくれた。
約10日の滞在でアメリカに戻るときは、もっと簡単にアメリカに再入国できてしまった。

それよりも数年前にバーモント州からケベック州に入った時も同じだった。
パスポートを見せて、そのまま車でカナダ国内に乗り入れたのだが、高速道路はそのまま続いている。ただ、いきなり道路脇の最高速度の表示が、それまでの「65」が「100」に変わったのにはぎょっとした。考えてみれば、「100」は日本で見慣れた「時速100Km」のことなのだが、当時何ヶ月もアメリカに住んでいて毎日マイル表示を見慣れていた(「65」は「時速65マイル」のこと)ので、一瞬「100マイル」なのかと思ったのである。カナダはメートル法を採用しているので、本来は日本人には違和感はないはずなのだが。
それから、指示標識が英仏両語表記なのも、カナダに入ったことを実感させられた。特に、モントリオールのあるケベック州はフランス語圏なので、市内のストリート名はフランス語が多かった。

陸路で国境を越えることは、日本人の私には非常に印象に残る経験だった。

なお、カーフェリーでの米加国境越えは、娘がまだ2歳になったばかりの夏休みで、シアトルからビクトリアまでだった。こちらも、まるで瀬戸内海をカーフェリーで通っただけのような手軽さだった。

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中学受験もここまでになると・・・

先日、学校のママ友達数名と「中学受験お疲れ様ランチ」をした。
その場で、我が子の受験苦労話だけでなく、クラスの他のお友達のことも話題になった。
娘のように、前受けをせずに本番初日が第1志望校で、それで終わってしまったのは非常に幸運かつ楽なケースだと改めて悟った。娘の学年は全員どこかの中学を受験したが、やはり皆が皆望んだ結果を得られたわけではなく、悲喜交々だとは娘の話からもうすうす感じていたが・・・。第1志望がだめで、その後連日あちこちに受けに行ったり、親は発表や手続きに東奔西走したり、という苦労を経験したママ友達もその場にいた。
多くのクラスメートが、地元だけでなく、大阪は当然のことながら、京都や奈良の中学を受験し、4月から京都や奈良まで毎日1時間以上かけて通学するらしい。別地方の私立中学に進学して、親元を離れて寮生活をする子もいると聞いた。

そのランチの席で聞いたことだが、関西で最難関のN中に合格した子の一部が、通っていた塾の勧めで2月1日に東京の最難関のK中を受験しに行ったとのことである。もちろん入学試験のために上京するのは、塾の先生が引率して、ホテルも塾が手配するようである。
これは結構昔から複数の塾、特に全国展開をしている大手塾で行われていることらしい。塾の合格実績を上げるための措置であることはみえみえで、その話を聞いたときに「そこまでするとは・・・」と呆れてしまった。
恐らくその子たちはK中に合格しても東京に転居する予定はなく、N中に進学するはずである。入学する意思がない関西からの受験生に合格を出すために、本当にK中を目指して頑張ってきた首都圏の子が不合格になるなんて酷いと思った。ところが、他のママ友達が「その逆も毎年あるわよ。」と、もはや両方の中学で慣例化しているとあっさり言われてしまった。N中では、K中に合格して入学を辞退する首都圏在住の合格者がいるため、定員よりも若干多めに合格させ、繰り上げ合格が出ることもあるらしい。

これはデマか本当かわからないことだが、ある塾ではK中入学試験の引率ついでに東大の赤門に子供たちを連れていって、「君たちは6年後はここに来るんだ」と言ったとか。
さすがに、これには他のママ友達からも、「やり過ぎ!」とか「アホちゃう?」という辛辣な批判が噴出。

娘のクラスにもN中に合格しながらK中を受けに行く秀才がいて、娘はなんとその子に向かって「東京に遊びに行くようなもんでしょ。おみやげ買うてきて。」と言ったようである。なかなかやるではないか!

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あめちゃん、食べる?

先週の『日本経済新聞』大阪版に、面白い記事が載っていた。
「食べ物・寺社に「ちゃん」「さん」-優しい響き、敬愛の念も(追跡)」(2010年1月20日 大阪夕刊 29面)というタイトルで、「あめちゃん、お豆さん、八坂さん・・・・・・。関西では食べ物や寺社などに「ちゃん」や「さん」を付けることが多い。関西以外ではまず使わない言い方だが、こうした言葉遣いが普及したのはなぜだろうか。」で始まっている。
記事は、言語学者などに取材して、食べ物に「お」をつける御所ことばから派生した丁寧語、あるいは食べ物などに親愛の情を込めた言い方という見解を述べている。

「あめちゃん」に関しては、よく中高年の女性が「あめちゃん、食べる?」と言うのを耳にしたことがあり、大阪のオバチャン度チェック項目に必ず入りそうだ。
私自身は「あめちゃん」とは言わないが、「お芋さん」や「お揚げさん」は普通に使っている。
「おいなりさん」は稲荷寿司として言ったことがあるが、「おいなりさん」は京都では伏見稲荷大社の呼び名として定着している。「えべっさん」(今宮戎神社)、「天神さん」(北野と大阪の天満宮)、「すみよっさん」(住吉大社)などの寺社の呼び名にも馴染みがある。私の母は大阪の住吉大社の近くの出身なので、「すみよっさん」は子供の頃からよく聞いた。

娘に、面白がって「あめちゃん、要る?」と袋入りののど飴を出したら、即座に「ちょーだい」と手を出してきた。「あめちゃん」でも、何も違和感はなかったようだ。その後に、「関西では飴のことを、わざわざ”ちゃん”づけで呼ぶのよ」と言ったら、「知ってる。」という反応が返ってきた。
今度、東京の人に「あめちゃん、いかがですか?」とやってみたら、どうだろう(笑)。あるいは、「おはようさん」という挨拶は?

ところで、関西以外では「お芋さん」とは言わないのだろうか? じゃがいもでも里芋でもなく、さつまいもだけが「お芋さん」なのだが・・・。


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受験もプロジェクトで、目標に向かってPlan-Do-Seeが大切

もう1週間前になるが、娘が無事第一志望の中学に合格した。
合格祈願のお札やお守りを届けてくれた親戚・知人に報告し、入学金を納めるなどの手続きを済ませ、ようやく落ち着いた。

私たちよりも前に中学受験を経験した人たちから聞いてある程度覚悟はしていたが、正直言ってこれほど中学受験が親子に時間的、肉体的、精神的な負担を強いるものとは思わなかった。
私も小学6年生の時は某国立大学附属中学を目指して(あえなく抽選で玉砕)いちおう受験勉強らしきことをしていたが、その当時と比べて格段に大変だった。

しかし、こうして終わってみると、娘を受験させてよかった、良い経験をした、と評価している。何よりも、娘自身が、努力をすれば報われるという達成感を味わっていることが大きな成果で、娘はこの経験により成長してくれたと思っている。
上を見たらまだ難しい学校やよくできる子も多いが、娘が行きたいと希望した中学に向けて頑張ったことは褒めてやりたい。

受験に限らず、仕事や学業、日常生活においても、目標を持ってそれに向かって日々努力することは非常に大切なことである。
よくビジネスで用いられる(私も仕事で実践している)Goal & Objectivesの発想を何にでも当てはめるべきだと思う。つまり、あるプロジェクト(例えば中学受験)に取り掛かるにあたって、ゴール(○○中学合格)を定めて、そのゴールに到達するためのさまざまな方法や手段を考えて、その手段ごとに短・中期の目標(一例としては、今日中にこの算数のプリントを仕上げてまちがえたところはやり直す、とか、次の模試には4科の偏差値を50にする、など)を決めて、それが達成できれば、また次の目標を定め・・・というように行動目標を決めて前進すれば、おのずとゴールに到達するはずである。
とてつもなく高く見える頂上ばかりを見ながら手探りで山登りをすることほど辛いものはない。頂上はたまに仰ぐだけにして、地道に数メートル先を目指して登っていけば、いつかは頂上に近づいているのである。その際、数メートルごとに立ち止まって進むべき道を検証することが重要だと思う。そうすれば、険しい傾斜に直面して滑り落ちてもせいぜい数メートル分であり、何度かトライすれば、そのうちにその傾斜を乗り越えることができるはずである。
仕事でよく見かける失敗事例は、往々にして、最初は勢いがあっても途中で息切れしたり、急いで駆け上って取りこぼしが多かったりするパターンである。
やはり、何事も成功の秘訣は、しっかりしたGoal & Objectivesを定めて、日々Plan-Do-Seeを繰り返すことである。

もちろん子供にはこのようなことはわからない。12歳の子には頂上しか見えていない。そこに行くにはどうしたら良いのかすらわからず、ただただ頂上を見ているだけである。
だから、親と塾が登山道を示し、途中にあちこちチェックポイントを敷設し、息切れしそうなときには適度な休憩を与えていかなければならない。それから、"See"の部分を疎かにしてはいけないことも教える必要がある。模試の点数にはこだわるが、そこでまちがえた問題をそのまま放置するのは子供にありがちである。
そのうち少しずつ子供自身が短期の目標を定めて、それをクリアするには何をすべきかを習得していくはずである。


こうして中学受験から解放されて振り返ってみると、受験も一種のプロジェクトだったと気付いた次第。

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やおろず(八百万)の神と仏と天の神と・・・

娘の中学入試がいよいよ今週末に迫った。

もうあとは本人次第なのだが、娘を知る人たちにとっては、「何か勇気付けることをしてあげたい。」との思いがあるのか、続々とお守りなりお札なりが届いている。
義父母(娘から見れば隣のおじいちゃんとおばあちゃん)は、京都の北野天満宮で祈願し、絵馬を奉納し、お札などを持ち帰った。「梅香箸」という名のついたお箸もその袋の中に入っていて、義父母の手前、娘は今それで食事をしている。他にも天神さんマーク(笑)のついたハチマキもあるのだが、それはさすがにしていない。お札は飾って、毎日拝むように書かれているけれど・・・。
私の母は熱心なカトリック信者で、昨年秋にはバチカンに巡礼に行った。母からは「バチカンで合格をお祈りしてきたし、毎週のミサでも祈っているからね。」と娘にロザリオが届いた。
他にも、親戚などが「○○寺の学業成就のお守り買ってきた。」とそれぞれお守りを持ってきてくれた。

特定の宗教を信仰している人を除き、日本人は神や仏への祈願におおらかだと思う。良く言えば、どんな神や仏も寛大に受け入れて、悪く言えば節操がない。
結婚式は神前であったり、教会で挙げたり、別に自分が信者でなくても、神に誓っている。子供の安産祈願は有名な寺に行き、お宮参りに神社へ行き、年老いて死んだら葬式は仏式で、戒名つけて・・・。
合格祈願も、神道、仏教、キリスト教・・・(笑)。
娘も私もいちおうカトリック教徒のはしくれなので、ちょっとこの状況にとまどっている。娘を思う人たちの気持ちを重視して、有り難く受け取っているが・・・。

先日、きわめつけに、福岡在住の知人から太宰府天満宮の合格お守りと合格鉛筆が届いた。
京都(北野)と太宰府の両天神さんのお守りを2つ並べて、娘が「すご~」と笑っている。
「天満宮って誰をまつっているか知っている? 学問の神様・菅原道真よ。」
「白紙(894年)に戻す遣唐使」とその名前から娘が言い出したものの、「何でこの人が合格の神様なん? それで何で二つもあるん?」と聞かれて、がくっ。
娘が「東風吹かば におひおこせよ 梅の花・・・」の歌を知っていたのは、「白紙に戻す遣唐使」と共に、いちおう受験勉強の成果かも。

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コマ回しと剣玉

昭和以前のお正月での子供の遊びと言えば、歌にもなっているように、凧上げ、コマ回し、羽つき、福笑い、カルタあたりが定番だろう。
私も昭和生まれだが、上記のような遊びをした記憶は、凧上げとカルタを除いてほとんどない。

息子が在籍している学童ホームでは、今、コマ回し大会をやっていて、子供たちが競っている。1年生の息子にとっては初めてのコマ体験なので、回すどころか、紐をぐるぐる巻くことさえ最初はできなかった。
息子はうまくできずに癇癪を起こしたり、私に「教えて」と言うのだが、私もコマを回したことがなく、教えて欲しいのはこちらの方だ。しかも、息子は左利きなので、どちら向きに紐をかけて、どの方向に投げるのかさっぱりわからない。
その息子も学童ホームでいろいろ教えてもらえたようで、10回に1回ぐらいは回せるほどになった。連日、家でも練習している。
昨晩、塾から帰ってきた娘がその息子の姿を見て、あれこれアドバイスするだけでなく、自分でもコマを回し始めた。驚いたことに、娘は確実に回し、手にも乗せている。娘がこれほどコマ回しが上手だとは思わなかった。どうやら彼女も毎年同じ学童ホームでコマ回しを練習して、上達したようである。

同じことが剣玉でも当てはまる。
夫も私もまともに剣玉をやったことがない。ところが、我が家の子供たちは学童ホームで習って、かなりいろいろな技ができるようになっている。この学童ホームでは、毎月ボランティアの指導員のおじいさんが来て、剣玉の級認定をやっているのである。

昭和生まれの両親ができないコマ回しや剣玉が、平成生まれの現代っ子である我が子たちがいとも簡単にやっているのには、驚くと同時に感心さえする。娘が保育園時代に習得した竹馬とフラフープ回し(息子はどちらとも完全にはできずに終わった。)もそうだった。
ゲームに興じるよりも余程健全に思えてしまう。
フラフープの輪を2つも体で回している娘を見たときには、さすがに「アンタは昭和30年生まれか?!」とこっそりツッコミをいれてしまった(笑)。

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2010年の幕開け

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。


今年ほど正月らしくない正月はないだろう。
大晦日まで塾弁を作って、夜10時ごろに駅まで塾帰りの娘を迎えに行って、なにも日常と変わらなかった。元日だけは塾がないので、少し寝坊したぐらい。いちおうお雑煮は食べたけど・・・。
我が家の正月は1月下旬かな?  無事に喜ばしい春を迎えられたらよいのだが・・・。
娘はもう「合格後」のことばかり口にする。
ディズニーランド行って、Wiiを買ってもらって、毎日テレビを見るんだ~と。

早いもので、2000年も10年目になった。
ようやく"twenty-ten"と言えるようになって、困らずに済みそうだ。昨年暮れに仕事絡みのセミナーで会ったアメリカ人に「2005年に私がシカゴに行った時・・・」と言おうとして、"in..."で口篭もってしまったのには、我が英語力の低下に直面して絶句したので・・・。

2010年は、仕事の上で人員削減などで一段と厳しい年になりそうだ。少ない人員を遣り繰りして、より大きな成果を挙げられるよう、組織を引っ張っていかなければならない。
不況の世の中で景気の良い話題はほとんど聞かないが、今年1年我が家を含めたすべての人に良い年であることを願わずにはいられない。

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第九の季節

買い物に行ったスーパーマーケットのBGMでベートーベンの第九が流れていた。
それを聴いただけで、「あぁ年末だなぁ」と思う私は典型的な日本人かも。何だかそれ以来、頭の中であのメロディーがリフレインしてしまって、ついに夕食後の皿洗いをしながらCDをかけてしまった。

かつては、毎年のように12月には第九を聴きに行っていた。
学校時代の友人がアマチュア合唱団でソプラノを歌っていて、彼女の合唱団が数年続けて京都市交響楽団(当時の指揮者は小林研一郎さんだった)と共演するのを聴いたし、その後はザ・シンフォニーホールでの大阪フィルの第九の演奏会に行っていた。
それで、すっかり「12月は第九」が刷り込まれてしまったのである。
私だけでなく、日本の社会全体で、第九は年末の風物詩になってしまったようである。

私自身は歌を歌うことはできないが、いちおう大学学部の一般教養で第二外国語がドイツ語だった(全く使い物にもならないほどで終わってしまったが)ので、シラーの詩を読むことはできる(意味は辞書を引かないとわからない)。だから、鼻歌まじりで"Alle Menschen werden Bruder . . ."(ウムラウト出ない)なんて口ずさんだものである。

年末に第九を歌う習慣は日本だけではないだろうか? 本国ドイツの人たちは、この日本での「第九」熱をどう思っているだろう。

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Believing is Seeing.

クリスマス前にアメリカから届いたクリスマスカードの1枚は、真っ赤なカードに白抜きのサンタの絵と"Believing is Seeing"の文字が描かれていた。中を開けると、"Dream. . . Imagine. . . Believe!"というメッセージが。

"Seeing is Believing."というのは、日本のことわざで「百聞は一見にしかず」と訳される。
では、その逆の"Believing is Seeing."はどういう意味なのか? もちろん私が初めて聞いた表現である。
いろいろ考えた結果、「信じることで見えてくる。」ではないだろうか。

サンタクロースといえば、

Nobody sees Santa Claus, but that is no sign that there is no Santa Claus. The most real things in the world are those that neither children nor men can see.

を思い出す。これは以前ここに書いたことがある"Yes, VIRGINIA, there is a Santa Claus."で有名なThe Sun(1897年9月21日)の社説の一節である。
この社説では、美しく輝かしい目に見えない世界を覆っているカーテンは力で引き裂くことはできず、信じる気持ちや想像力、詩、愛、ロマンスだけがそのカーテンを引いて、その向こうを見せてくれる、ということが書かれている。

"Believing is Seeing."という一文は、まさにその社説と同じことを言わんとしているのではないかと思った。
「信じることで、これまで気付かなかったものが見えてくる。信じることは、世界を広げてくれる。」ということではないだろうか?
中のメッセージは、そのまま「夢を見よう、想像しよう、そして信じよう」でよいだろう。

世知辛く厳しい世の中で、子供のときのように夢をみることも少なくなった。しかし、あくせく生きている大人こそ、夢を見て、信じることが大切なのかもしれない。

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実は私は・・・

先日の昼休み、職場の休憩室で昼食を食べながら、その場に居た派遣さんやパートさんと昔のアニメの話で盛り上がった。全員30代から40代前半の女性ばかりで、もちろん私もその一員。
最初は、「アルプスの少女ハイジ」でクララがいつ歩けるようになったか?、から始まって、「フランダースの犬」の天使に迎えられて昇天するラストは涙なしには見られない、とか、「ひみつのアッコちゃん」で「テクマクマヤコン」ともうひとつの呪文は何だっけ?、とか・・・。少女モノだけなく、ロボットアニメ、スポコンアニメなど、ほとんど70年代のアニメばっかり・・・。
この話題にカンペキについていける我が身に唖然としてしまった。私だけが「魔法使いサリー」のエンディングタイトルを歌えたので、周囲からも「意外!」との声も出てきて、化けの皮が剥がれてしまった。

確かに、私が小学生の頃は、とにかく夕方によくテレビを見ていた。逆に8時以降の番組は見ていないので、必然的にアニメばかりだった。当時は今と比べて本当に子供向けアニメが多く放映されていたのである。
今でこそ、アニメは「クール・ジャパン」の代名詞のようになって、子供よりも大人が見るような作品も増えている。テレビ放送ではなく、DVDやゲームとして出されるアニメも多いと聞く。
しかし、私が子供だった70年代は、「ルパン3世」などの一部を除いて。アニメは子供の見る番組と見なされていた。そして、多くの子供がそれらのアニメを見ていて、学校での話題の中心にもなっていた。

1978年に「さらば宇宙戦艦ヤマト」などがヒットして、アニメブームが到来した。有名な「機動戦士ガンダム」もこの時代の作品である。
しかし、この年に私は中学に入学してから、ごく一部の番組を除いてテレビを見なくなった。

よって、「ガンダム」とか「イデオン」などの話題になったときに、完全に沈黙してしまった。誰もが知っていると思われるような有名なアニメですら、わからない。今が旬のものでも同様である。
子供がポケモンと「名探偵コナン」を見ているからそれは知っているが、「ドラゴンボール」って何? 「ガンダム」ってまだ続いているの?、「ワンピース」って服のことではないんだ、状態である。
この私のリアクションもまた、ランチタイムの同席者には驚きだったようである。

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クリスマスの讃美歌と聖歌

クリスマスが近づいてきた我が家では、連日讃美歌が聞こえてくる。
と書けば聞こえが良いが、実際は小学1年生の息子が学校で習ってきた讃美歌を調子っぱずれで歌っているのである。「もろびとこぞりて」は何だか怒鳴っているだけで、降誕の喜びは感じられないし、音程はずれまくり・・・。
息子が機嫌良く「グロ~オ~オ~・・・リア」と歌っていると、小6の娘が「うるさい!」

その後で、娘が「それに歌詞ちゃうやん!」と文句を言い、息子は「合うてる!」と反論。
それを聞きながら、「来た、来た、ついに来た」とニヤつく私・・・。口論に発展しそうな子供2人を前にして、「歌詞は2種類あるねん」と宣言した。
娘はカトリックの学校で習ったカトリック聖歌の歌詞を知っていて、息子が歌っていたのはプロテスタントの讃美歌の歌詞で、それぞれ違うのである。例えば、有名な「きよしこのよる ほしはひかり・・・」は讃美歌で、同じ曲が聖歌では「しずけきまよなか まずしうまや・・・」になる。私はカトリック信者なので、子供の頃からこのことに気付いて不思議に思っていた。
2人の口論のもとになっていた曲も、息子が歌っていたのは「あらののはてに ゆうひはおちて・・・」で、娘は「あめのみつかいの うたごえひびく・・・」に馴染んでいるはずである。他にも何曲かこのような違いがある。
讃美歌と聖歌とで同じ曲でも歌詞が違うのは面白い。ただ、違いはあっても、主の降誕を祝う歌の内容はほとんど変わらない。

この時期は、街にはクリスマスソングが流れているし、欧米のアーチストによるクリスマスアルバムが毎年のように発売される。
「ジングルベル」や「ホワイトクリスマス」のようにポピュラーな曲だけでなく、讃美歌もよくカバーされており、いろいろなアレンジで聞かれる。日本ではクリスマスそのものに宗教色が薄いのと同様に、「きよしこのよる」などが讃美歌であることの認識もあまりないだろう。

クリスマスの歌は、どれも好きである。とりわけ、しっとりと静かな「まきびと羊を」(The First Noel)と「ああベツレヘムよ」(O Little Town of Bethlehem)がお気に入り。

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あと1ヵ月・・・

娘の中学入試本番まで、もうカウントダウンが始まっている。

第一志望校の願書は初日に出した。
冬休み中にうるさい弟が家にいると気が散るので、息子は子供のスキーキャンプに参加させ、年末年始は実家に里子に出す手配を整えた。
私の仕事は1月16日から20日まで休みを取った。
・・・と準備は着々と進んでいるが、当人の準備はなかなか期待するほど進んでいないのが難点。社会、なんとかしてよ~!
あと1ヵ月は本やマンガ、iPodを取り上げなければ・・・。

と母親は焦っている。
娘の勉強はもう社会ぐらいしか見てやれない(もう算数はチンプンカンプン。こんな問題どうやって解くの?と私が娘に聞いている。)ので、せいぜい塾の送迎と夜更かしにつきあうことだけ(って私は仕事や勉強せずに、メール書いたりネットサーフィンしている方が多いのだが。)で娘を支えている。

この時期、子供自身が焦りで情緒不安定になったり、体調を崩したりするとよく聞くが、幸い娘は当人が口にしているほど深刻さも焦りもない。決して余裕ではないのだが・・・。
この時期でも学校や塾に行くのが楽しいと言い、学校では明るく友達と騒いでいるようである。
娘が通っている小学校は、上の私立中学に推薦入学を希望した数名も含めて、1月16日には全員が国・私立の中学を受験する。どの子も家や塾では必死だろうが、学校では子供らしく楽しんでいるみたいで、担任の先生も「今年の6年生はピリピリしたところがなく良い雰囲気です。」とおっしゃっていた。
そんな雰囲気の中で、明るく受験の話で盛りあがっているようで、周囲にひっぱられて娘もやる気になっているのは親としてうれしい。

緩やかではあるが、模試の成績も右肩上がりでここまで来たし、合格可能性の判定も悪くない。
あと1ヵ月、このまま精神的にも体調も安定を保ったまま、本番を迎えて欲しい。

娘は自主的に年末年始の塾の特別講習(31日の夜9時まで続き、休みは元日のみ)に申し込んできて、「クリスマスプレゼントもお年玉も合格してからにして。」と宣言している。
嵐(娘はジャニーズの嵐のファン)が出る紅白は録画してあげるからね~!

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作曲家ラフマニノフ

ロシア人の作曲家 セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)の「ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30」が初演されたのは、1909年11月28日のニューヨークで、作曲者自身が独奏した。ちょうど100年前のことである。

ラフマニノフのピアノ作品としては、この前に発表された「ピアノ協奏曲第2番」が大変有名で、よく国内のコンサートでも演奏されるし、映画音楽やフィギュアスケートの演技の曲として使われたこともある。私も中学生の時に「第2番」を初めて聴いた時からずっとこの曲は好きで、よく聴いている。
しかし、「第2番」よりもずいぶん遅れて「第3番」を聴いたとき、「こ、これは、すごい」と衝撃を受けた。「第2番」のロマンチックな美しい旋律も素晴らしいが、「第3番」のちょっと憂鬱な独特な雰囲気が琴線に触れた。
聞く所によると、この「第3番」は、数多あるピアノ協奏曲の中でも最難曲のひとつであり、演奏者に超絶技巧を要求する大曲であるらしい。

こんな難曲を作曲して、自ら演奏したという以上(彼自身の演奏による録音も残っている)、ラフマニノフもフランツ・リストと同じく優れたピアニストだったのだろう・・・とは想像できるが、ラフマニノフ自身のことはほとんど知らなかった。
大好きな「ピアノ協奏曲第3番」の初演100周年の機会に、ラフマニノフのことを知ろうと図書館から伝記を2冊借りて読んだ。ともにロシア人が書いたものの翻訳である。
モスクワ音楽院で教育を受けたラフマニノフは、若い頃からピアニスト、作曲家として活躍しており(一時期、交響曲第1番の不評から神経衰弱になったが)、20世紀初頭には確固たる名声を得ていた。この「第3番」はその輝かしい時代に作られた。
ラフマニノフは、身長2m近くあり、指を広げるとオクターブどころか12鍵ぐらい届いたそうである。

ラフマニノフの栄光の人生に終生影響を及ぼしたのは、1917年のロシア革命である。
彼は家族を連れてロシアを出て、その生涯で二度と故国の地を踏むことはなかった。
アメリカやスイスに住みながら、もはや取り戻すことができない帝政ロシア時代の文化や雰囲気を懐かしみながら、彼は終生ロシア人のアイデンティティを保ち続けたのだろうか。亡くなる少し前にアメリカ市民権を取り、1943年にこの世を去った。
故国を離れてからも、コンサートピアニストや指揮者として成功していたが、作曲家としてはロシア時代の傑作を上回るほどの作品を産みだすことはなかったと言われている。

ラフマニノフに限らず、20世紀前半には、ロシア革命の勃発やナチスの台頭で、故国を離れざるを得なかった芸術家、作家、学者は数多く存在する。移住先でさらに花開いた人もいる反面、作曲家としてのラフマニノフは残念ながらそうならなかった。

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フツーの人が面白い

電車の車内や店などで、何気なく周囲の人の会話が耳に入ってくると、ときどきこちらが吹き出しそうになるほどの面白い掛け合いに遭遇することがある。絶妙なボケとツッコミがあったり、とぼけたギャグにたたみかけるようにギャグの応酬が続いたり・・・。
感心しつつその会話の主たちを観察すると、外見はただの市井の人なのである。何もプロの漫才師や芸人でなくても、十分人を楽しませる話術を持つとは、恐るべし、我が同胞の関西人!

テレビニュースの街頭インタビューでも、大阪の街角で応じている人は面白いことを言うことがある。「これ、バラエティー番組ちゃうで~」とツッコミたくなるが、往々にしてその人たちはウケを狙っているのではないのである。「こう言うたらウケるやろなぁ」なんて計算しているとはちょっと違う。無意識のうちに、口からその受け答えが出てくるような自然さが感じられる。

もうずいぶん前だが、大阪のどこかのお役所がクールビズの日か何かを決めて、その日はノーネクタイの上着なしにしたという話題がニュースで流されていて、登庁してくる人たちのインタビューが聞こえてきた。
「(ノーネクタイで)首周りは楽ですけど、新しいシャツを買うたんで、財布は苦しゅうなりましたわ。」と苦笑いする人、
「金はかけられへんから、アイロンかけてきました。」と自分が着用しているシャツの前身ごろをひっぱる人、
このお二人は働き盛りの年齢で、いかにも公務員という外見の方々だった。
私はこのニュースネタを見ながら、思わず「座布団2枚!」と言いそうになった。

先日、家族ぐるみで仲の良い知人が2台目のマイカーを買い換えたという話題のときに、知人の奥さん(おしとやかな人です)が「うち、これで車3台になってん」と言い出したので、「え?」、「火の車」
夫と私は大爆笑。

フツーの人が面白いことを自然に口にするこの文化が、私にとって心地よい。
生まれて成長する間に培われて、頭と体の中に染み付いている。まさに「関西人は1日にしてならず」

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図書館が好き♪

私は決して読書家ではなく、自慢できるほど本を読んでいるわけではないが、図書館は最も好きな場所である。待ち時間に図書館に行けば、たちまち数時間は時間をつぶせる自信がある。機会があれば、いろいろな図書館に入ってみたいと思っている。現に3年前に書いたように、世界最大の図書館であるLibrary of Congressや日本最大の国会図書館(ここは仕事絡みの調査で数回利用している)をはじめ、小さな市の図書館の分館まで、図書館の近くを通りかかれば覗いている。
図書館に行けば、2,3時間なんてあっという間に過ぎてしまう。
私が好きだから、子供たちにも図書館に親しんでもらおうと、小さいうちから市の図書館に連れて行っている。

私も小学生の頃から一人で自転車に乗って公民館に行き本を借りていたが、学校の図書室を利用した記憶はほとんどない。
私が当時住んでいたニュータウンは団地や分譲住宅が次々と建設されて、学期が新しくなると必ず数名は転校生が来ていた。そのため、学年途中でもクラスが1つ増えることもあり、教室が足りずプレハブ教室で代用していた。そんな小学校だったので、図書室もさっさと教室に転用され、少ない蔵書はどこかの倉庫に押し込められていて、借りることができなかったのである。
その時代は、学校図書館の整備は後回しになっていたのが、ほとんどの地方自治体の実態だったらしい。その頃と比べると、今は良くなっているのではないだろうか。
子供に受験させる小学校を選ぶときは、図書室や専任の司書教諭の有無を確認した。私自身が学校の図書館を利用したことがないからこそ、子供たちにはその経験が必要だと感じたからである。幸い、2人は別々の小学校に行っているが、どちらも「読書」の授業だけでなく、休み時間にも図書室が使えるため、よく本を借りてくる。
そろそろ物語だけでなく、ドキュメンタリー的なものや解説本などにも興味を持って欲しいし、「読む」だけでなく「調べる」楽しみも見出して欲しいと思っている。

図書館という所は、単に娯楽や暇つぶしのために利用するだけでなく、学業や仕事に活用できる情報を得られる場であり、自らの知識や知恵を蓄えることのできる施設である。

我が家の冷蔵庫にくっついているLibrary of Congressみやげのジェファーソン大統領のマグネットが"I cannot live without books"と言ったなら、私も大げさに"I cannot live without libraries."と言ってみよう。

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バリウム飲んだら・・・

先週に胃の検診を受けた。
前日の夕食後から絶食して、紙コップいっぱいのバリウムを飲んでレントゲン撮影をする検診だった。
43歳ともなれば、病気の早期発見のためにさまざまな検診はぜひとも必要で、毎年必ず日時を設定してくれる職場には感謝している。しかし、このバリウム(胃カメラは未体験)と乳がん検診のマンモグラフィーは必要だとわかっていても、苦痛でしかない。

検診の朝は覚悟を決めて、朝食の席で「お母さんは胃の検診だから、朝ごはんは食べられないの。」と子どもに言った。
すると、小学1年生の息子が、「きのう、○○先生も胃の検診を受けてきたよ。白い薬をいっぱい飲んで、ぐるぐる回るんでしょ。」と言い出した。どうも息子の担任の○○先生(30代半ば過ぎの男性)は初めて胃の検診を経験されたのか、よほど印象に残ったようで、教室で児童たちにこと細かに話をされたようである。息子の口から、「げっぷをしてはだめと言われてこらえた」とか、「検査が終わった後で、白い薬がお腹の中で固まらないように丸い薬を飲んだ」とか、先生が話されたことが次々と出てきた。授業のことを聞いてもここまで話してくれない(というか記憶していない)のに、こんな話には食いつきがよいのも困りものである。
挙句の果て、「う○ちが白くなるんだって。お母さんもそうなるなら、見せてよ。」と言い出す始末。
いくら自分の息子だって、誰が排泄物を見せるものか!

検診を待ちながら、知り合いの看護師さんと同じく順番待ちの別の部署の人たちにその話をしたら、大ウケしてしまった。

その日の夜、しっかり息子は覚えていた。「お母さん、白いう○ち出た?」
緩下剤を服用したから、ちゃんとバリウムは出たわよ、職場で。
息子が残念がったのは言うまでもない。

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Kindleで名作を・・・

10月下旬に届いた電子書籍端末Kindleは、今の私の玩具になっている。

薄いパッドのままでは持ち運びに不安なので、専用のカバーもAmazon.comで買って、通勤時にバッグに入れている。
ソフトは検索してどこでもダウンロードできるので、カバーのように注文してから届くまでの日数や送料は全く不要である。

先週末に、Charles Dickensの A Christmas Carol をダウンロードして読んでいる。
ちょうどディズニーの新作映画が公開されてその広告を見ていたら、急に読みたくなった。昔日本語訳を読んでいる上、以前制作された映画を見ている(ドナルド・ダックがスクルージ役のディズニーアニメも見ている)のでストーリーは知っているが、Dickensの原文を読んだことはなかった。この作品の原書(しかも1843年の初版本)は、Project Gutenburgにアクセスすれば全文が無料で読めるのだが、敢えてKindleに入れた。
比較的平易な英語で、ストーリーが面白いため、通勤電車の中でも気楽に読むことができる。

Kindleを使ってうれしい発見は、読みながらわからない単語が出てきたときに、そこにカーソルを持ってくれば、モニターの最下部にその意味が表示されることである。プリインストールされた英英辞典から該当の言葉を自動的に捜してくれるのである。これは大変便利な機能だと評価している。

クリスマスまでには読み終えるつもりなので、次は何をダウンロードしようかしら。

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Giant leap for mankind

(前に書いた「サザエさん」40周年の記念番組で、アポロ11号の月面着陸の映像に関して・・・)

"Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed."

今から40年前の1969年7月20日、アポロ11号の月着陸船(Lunar Module) "Eagle" は司令船(Command Module) "Columbia" から切り離され、月面に着陸した。
そして、人類は初めて月にその足跡を記したのである。

残念ながら、3歳の子供だった私にはその記憶が全くないが、世界中はさぞ熱狂したことだろう。
同年7月の「朝日新聞」は、まだアポロ11号の打ち上げ前からミッションの記事を数多く掲載しており、着陸第一報となった7月21日夕刊の第1面は「人類、ここに月を踏む」と大きな見出しが躍っていた。ロンドンのThe Timesでも、1969年7月21日のトップは"Man takes first steps on the moon."だった。。
日本やイギリスでさえそうなのだから、アメリカ国内の新聞やテレビでの報道は凄かったに違いない。The Washington Postは、やはり7月21日の第1面で"'The Eagle Has Landed.'-- Two Men Walk on the Moon."と写真と共に大きくこの偉業を報じていた。
ニクソン大統領は着陸予定日の7月21日月曜日を休日として(結局は予定よりも早く前日の夜に着陸したが)、「全国民が月面着陸に参加しよう」と呼びかけて、NASAの地元ヒューストンでは公共サービスも含めてほとんど機能することなく、市民はテレビにかじりついていたとも言われている。

アームストロング船長(Mission Commander Neil Armstrong)が発した言葉は、今も語り継がれている。

"That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind."

月面着陸40周年の2009年7月20日に、ホワイトハウスにアポロ11号の乗組員だったNeil Armstrong, Michael Collins, Edwin 'Buzz' Aldrinの3氏が集った。揃って1930年生まれの彼らが79歳になっても健在なのは喜ばしい。
彼らと会ったオバマ大統領は、そのスピーチを次のように締めくくった。

...we expect that there's ... another generation of kids out there who are looking up at the sky and are going to be the next Armstrong, Collins, and Aldrins. And we want to make sure that NASA is going to be there for them when they want to take their journey.

人類の宇宙への挑戦は、これまでも、これからも、続いていく。

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