漢字違いで大違い

 しばらく前に、大学での講義中に講義レジュメを読み上げていて、「・・・情報の反故を・・・」で「ん?」
一瞬自分が書いたことが理解できなかった。数日前に講義準備で用意したものだが・・・。ようやく「反故」は「保護」の変換ミスだと気づいて、学生に謝った。
 それにしても、同じ「ほご」でもずいぶん意味は違う。大切な情報を保護しないで、反故してどうする?とツッコミたくなってしまうほど、正反対の行動になってしまう。

 ワープロが普及するようになって、読みから漢字に変換するのがあたりまえになると、このような同音異義語の使い間違いをよく目にするようになった。
先日も、あるネット上での文章で、「このサービスの対象機関は・・・」というものを目にした。これだけでは別に変ではないが、この文の前後の文脈から、「機関」は「期間」の間違いだと判断した。
恐らく書き手がその漢字だと勘違いしているというよりは、単に変換ミスだと思われる。私も自分でこんなミスをしないように自戒していたのに、やってしまった・・・。

 漢字変換のミスに起因するものは気をつければ防げるが、微妙な意味の違いなどで使われる漢字が異なる同音異義語(異義語とは呼べないかもしれない)の場合はやっかいである。
アンケート調査の「かいとう」とテストの「かいとう」は、どちらが「回答」で、どちらが「解答」なのか、長さと重さはどちらが「測る」で、どちらが「量る」なのか大変紛らわしくて、使い分けが難しい。自信がなければ辞書を引くのが鉄則で、それを理解するしかない。

 「漢字違いで大違い」なので注意しなければ。

 なお、英語にも同音異義語があり、綴りは違えど発音は同じものが結構ある。それに加えて、例えばbear(動く)とbear(熊)のように全く同じ綴り&発音なのに別の意味を持つものも存在する。他の言語のことはわからないが、きっと同じようなことがあるだろう。
 言葉を正しく使うのは難しい。
 

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忙しく生きています

 ブログの最後の記事が今年の6月で、あっという間に半年余り。自分のブログにアクセスすることさえなく、夏から秋を経て冬になってしまった。

 この半年、公私共に忙しい日々を過ごしてきた。
 仕事はまずまず順調。9月末から京都の某大学に非常勤講師として週に一度出講している。本業と非常に密接に関係した私の専門分野を大学生(主に2年生)に教えている。本業に抵触しないように、なんと土曜日の午後という完全に本業がない時間帯にしてもらった。言うならば「副業」かしら。教えるということは、自分も学ぶ機会となるので非常に刺激的かつ有意義なことなのだが、京都は結構遠いのが難点。1時間半の講義のために、片道1時間半かけて行かなければならない。秋の京都は観光シーズンだから、帰りの阪急の特急は満員で、大阪の十三まで40分ほど立ちっぱなしはさすがに辛い。
 京都は私自身が大学生活を送った懐かしい地。そこに大学の先生として通えるなんてうれしいことである。

 プライベートで最も大きな出来事は、下の子(息子)の小学校受験を終えた事。無事に第一志望の私立小学校に合格することができた。2年近く毎週幼児教室に送迎して、家でも絵本の読み聞かせなど子供と向き合う時間を取った甲斐があった。前に書いたが、いわゆる「お受験」の格好って今でも抵抗がある。しかし、そうも言っておられず、この秋は親子共々どっぷり制服のような「お受験」ファッションをした。上の子の時以来の紺のスーツにはもう縁がないかと思うとほっとする。
 ただ、来年には娘が6年生になり、中学受験準備に本腰を入れなければならない。

 Harry Potterシリーズは夏に息子の幼児教室の待ち時間を利用して、最終作Harry Potter and the Deathly Hallowsを読み終えた。
 今のマイブームは、久々にロシア作曲家の作品を聴くこと。チャイコフスキーやラフマニノフは数年周期で無性に聴きたくなる。私のピアノは埃をかぶっているが、頭の中ではラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」がエンドレスで流れている。

 

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Harry Potterシリーズ読書記

 去年のブログ内容にざっと目を通していたら、5月に「ハリー・ポッターようやく4巻目」というタイトルで、数年の空白の後に3作目のHarry Potter and the Prisoner of Azkabanを読み始めて、4巻目のHarry Potter and the Goblet of Fireに着手したことが書かれていた。それから1年、その後どこまで進んだか、記しておきたい。
 後に行くほどページ数が増加していくので、他の本などと並行して読む私の読書習慣では、なかなか進まない。特に5作目のHarry Potter and the Order of the Phoenixは英国Bloomsbury社のペーパーバックで956ページもあって、持ち運びが難しく、読み終わるのに数ヶ月もかかった。現在は6作目Harry Potter and the Half-Blood Princeの半分を50ページほど過ぎた辺りである。この本は前作ほど分厚くなく(同社のペーパーバックで768ページ)て、京都に日帰り出張する往復の車内で集中して読んだりしている。
 来月に最終作の日本語訳が出版されるようで、いよいよ日本でも結末まで読み終わる人が大勢出現することになる。日本語訳が出る前に原作を7巻読破しようと、昨年に最終作が本国で出版された時には意気込んでいたが、どうやら間に合いそうもない。7月にはやっと7作目を手に取ることができるかどうかだ。
 
 ところで、昨年の夏にアメリカに行った時に、書店で全く著者や出版社からオーソライズされていないHarry Potterシリーズの謎解き本や解説書を多種見かけ、そのうちの1冊を興味本位で買って来た。Ultimate Unofficial Guide to the Mysteries of Harry Potterというアメリカで出版された解説書で、タイトルにもある通り、わざわざ"Unofficial"を強調し、本のあちこちに"This Guide is not authorized by J.K. Rowling."などと注意を載せている。Wizarding World Pressという出版社名からして胡散臭いが、なかなかどうして真摯なファンたちが真面目に書いているのか、結構面白くて役に立っている。
 インターネットでもこのタイプのファンサイトが多い。英語のWikipediaは作品毎、登場人物毎などの記述があり、ハイパーリンクであっちこっちに飛べる。Black一族やWeasley家などの家系図もあって面白い。
 情報リテラシーを考えると、このようなオフィシャルでない本やウェブサイトを参照するのは良いことではないのだが・・・。

 もう最終作の詳細な筋や結末は知っている。待ちきれなくて英米のウェブサイトで情報を得てしまった。誰が死んで、ハリーはどうなるのか・・・を知ってしまっても、やはり最終作である7作目まで読み遂げる計画は変わらない。

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洗濯機あれこれ

 家電製品を扱う大型店舗で、ずらっと並んだ洗濯機を見かけた。我が家の洗濯機はまだバリバリの現役で、毎朝文字通りフル回転しているので、洗濯機売り場に足を運ぶことはないのだが、そのときはたまたま通りかかったのである。今の主流は洗濯・脱水・乾燥が一体化した機種のようで、扉が斜めについている。「節電・節水・音が小さい」で「環境にやさしい」がうたい文句らしい。

 「少ない水で本当に汚れが落ちるのだろうか」と、そこでふと疑問を持った。そもそも、昔に私が聞いた洗濯機で上手に洗濯するコツは、「洗濯物同士が絡まると汚れが落ちないので、洗濯物が十分泳ぐようにたっぷりの水で洗う」と「コンパクト洗剤が溶け残らないように、風呂の残り湯のようなぬるま湯を多めに洗濯槽に入れる」だった。もちろん私は今もその教えを忠実に守って、わざわざ全自動洗濯機の水量は自動選択にせずに、高水位を手動で選んで風呂の残り湯をたっぷりポンプで洗濯槽に送っている。
どうやら、このやり方は「エコ」とは言えないらしい。最新型の洗濯機では、少ない水でも十分洗剤は溶けて、汚れも落ちるようになっているようである。

 考えて見れば、私が子供の頃から我が家は洗濯機の進歩にずいぶん遅れを取った生活をしてきた。
なんせ私が小学校に入学するまで、母は手回し脱水(2つのローラーの間に洗濯物を挟んで絞る)の洗濯機を使い続けていたし、その後ようやく購入した二槽式洗濯機はなんと私が社会人になっても現役だった。当然その頃は洗濯槽ひとつで洗濯・すすぎ・脱水ができる全自動洗濯機が主流だったのは言うまでもない。私は全自動洗濯機というものは、結婚して夫の実家で初めて使うまで触ったこともなかった。
 今私が使っている全自動洗濯機は、私よりも遅れて夫が留学を終えて帰国して初めて二人で世帯を構えた95年夏に購入したもの。それ以来、家族が増えるたびに洗濯物が増えつづける我が家では欠かす事のできない存在であり続けている。毎朝洗濯物の山をたっぷりのぬるま湯と共に飲み込んで動き続ける働き者である。
 かつて私の母がそうだったように、私も洗濯機の主流がどれほど進歩していようが見向きもせずに、壊れて動かなくなるまで、今の全自動洗濯機を使い続けることになるだろう。

 ところで、大学時代の友人や職場の同僚に言わせれば、「白物家電は、10年経つと急に壊れて買い替えなければならないよ」とのこと。彼女たちは、嫁入り時に購入した冷蔵庫や洗濯機などが10年越した途端に順番に調子が悪くなって、そのたびに買い替えの出費がかさんだとぼやいていた。
我が家の洗濯機も冷蔵庫も電子レンジも食器乾燥機もすべて現在13年で、まだ現役。白物家電10年説が本当ならば、そろそろ・・・かしら。

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電車と列の東方遠征

 「書かなければ・・・」、「書かなアカン!」、「書きたいのに時間がない」と焦りつつ、ついに2ヶ月あまり音沙汰なしになってしまった。
定期的にお越しいただいている方には、ここが何の前触れもなく休眠状態になったことをお詫びしたい。3月からずっと公私共に多忙な毎日を送っているが、いたって元気に過ごしていることを近況報告とさせていただく。

 土曜日も含めて連日マイク片手にしゃべり続ける(どんな職業や、って自分でツッコミを入れておこう)この時期ではあるが、カレンダーの赤色の日はきちんと仕事を休んで、気分転換と子どもサービスを兼ねて遠出もしている。そこは電車マニアの息子がいる我が家、4月初めは特急「サンダーバード」と「雷鳥」で福井県まで往復して、ついでにえちぜん鉄道というローカル線まで乗って、芦原温泉と東尋坊に行ってきた。
次いで、ゴールデンウィークの後半は、さいたま市に完成した話題の鉄道博物館まで遠征した。行きの「のぞみ」は最新型N700系、帰りはもはや珍しくなってしまった500系に乗り、東京から大宮までもわざわざE4系Maxの2階席、帰りの大宮・上野間は関西では見かけることがない在来線のグリーン車(2階建の1階席)と違うタイプの電車ばかりを選んで移動した。息子は東京駅の東北・上越・長野新幹線ホームで、200系、400系「つばさ」、E2系「はやて」と「あさま」、E3系「こまち」を見て興奮し、東北線(宇都宮線)や埼京線など在来線の車両を見ても喜んでいた。彼の頭の中では、図鑑やビデオでしか見たことのない電車が目の前に止まっていたり、走っていたりすることが大きな刺激となっていたようである。

 そんな息子(と夫)にはパラダイスのような「鉄道博物館」。
昨年のオープン以来大盛況と聞いているだけあって、鉄道ファンはもちろんそうでない人にも楽しめるような展示やしかけが目白押しだった。単に見るだけの展示ばかりでなく、実物に乗ってみたり、シミュレータで模擬体験したり・・・。また、小学5年以上のごく少数しか受け付けてくれないが、車掌や発券などの業務を体験できるプログラムもあった。さらに、夫が2時間並んで予約券を手に入れたミニ電車運転は、小さいけれど本当に電車を運転できるというまさに実演! 館内で駅弁を買って、展示している本物の急行「まつしま」客車内の座席でお昼を食べるなど、博物館内でさまざまな楽しみ方を経験した。
 ついでに、宿泊は近くにある「大宮大成鉄道村」。ここもなかなか楽しい場所だった。ジオラマを走るNゲージを見ながら食事ができるのだが、息子は食事そっちのけで、どこまでも電車、電車の1日だった。
 鉄道博物館の館内で、娘の学童ホームで一緒の男の子とその両親とばったり・・・。彼もかなりの鉄道マニアだと聞いていたが、家から600キロほど離れた地で会うとは驚きだった。この一家は2日連続の入館だそうで、我が家の上をいくと感心していたら、向こうは鉄道村で宿泊する私たちのことを「よく取れたねぇ。」と羨ましがっていた。この会話って・・・。 

 ところで、今回の2泊3日の東方遠征は、とにかく「列に並んで待つ」忍耐を強いられる日々だった。
鉄道博物館は朝10時の開館の30分ほど前に着いたら、すでに長蛇の列。GWとあって家族連れで大賑わいで、その日は1万3千人が入館したとか。先に書いたように、開館直後から並んでようやくミニ電車が運転できたり、山手線などの運転シミュレータもどれも30分ほどは並んだ。
鉄道博物館だけではない。東京ドームシティで、子どもが遊具に乗るのもすべて並んで、トイレも並んで、何をするのも並んで順番を待った。東京ドームで巨人・阪神戦(阪神が連打で勝った。敵地なのに何でこんなに阪神ファンがいるのか不思議だった)を観戦したときも、指定席を持っていたのに入場するのに10分以上並んだ。帰りの東京駅で、娘が「”東京ばな奈”買って。」と言ったが、コンコースのおみやげ売り場で「最後尾」の立て札が目に入り、もう並ぶのはこりごりだと「今回は諦めなさい。」と諭した。
 GWの外出だから仕方がないことなのだが・・・。

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米国大統領選挙のしくみ

 2008年は4年に一度のアメリカ大統領選挙の年であり、すでに共和党と民主党各党の候補者選びが始まっている。
 ニューハンプシャー州の予備選から始まり、前半のヤマ場である「スーパーチューズデー」を過ぎ、3月初旬のテキサス州、オハイオ州の大票田での党員集会も終え、今は残りの州での選挙戦が続いている。共和党はすでにマケイン候補が決まったが、民主党はヒラリー・クリントン氏とバラク・オバマ氏の接戦がまだ決着していない。これほど予備選で候補者決定が遅れるのは近年見かけたことがない。

 アメリカの大統領選挙のしくみは、日本人の我々には馴染みがなく、理解し辛い。国民の直接選挙のように見えて、実はそうではなく、いちおう大統領選挙人(予備選では代議員)が投票する。今クリントンvsオバマの民主党予備選の各州での選挙結果がよく報じられているが、その勝敗は獲得代議員数で表されている。本番の大統領選挙は勝ったほうがその州の選挙人団を総ざらえするしくみになっていて、さらに「訳がわからない」。

 私が大学に入学した1984年に大統領選挙があり、共和党レーガン候補と民主党のモンデール候補が対決し、現職のロナルド・レーガン氏が圧勝した。ちょうどその年に、一般教養で「政治学」を履修していて、指導教員がよく大統領選挙の話をしていた。
 私には「訳がわからない」ものだったが、そのままでは悔しいので、まずは本を読んでしくみを理解し、新聞の縮刷版を事細かに読んで1984年の予備選から本選に至る過程を調べた。年表のように選挙戦を日付順に並べて、全米50州の予備選と本選の結果と獲得した選挙人数などを書き出したノートを作った。
 これだけ手間隙かけて調べた結果、ようやく「訳がわからない」米国大統領選挙のしくみを私なりに理解することができた。さらに副産物があって、そのノートがあったため、一般教養4単位の「政治学」の成績は100点だった。

 それ以来今年までに何回か大統領選挙があった。かつて熱心に追跡した興味の対象であるために、今でも私は大統領選の報道は注意して見るようにしている。
 アメリカの大統領は三選できないため、候補者が新顔揃いになる選挙が特に面白かった。今年はまさにその回である。これだけ民主党の予備選から接戦が続くと、ますます誰が選ばれるかに興味をそそられる。
 

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Do not stand at my grave and weep.

 この数年で非常に有名になった「千の風になって」の元になっている英語詩は、実はタイトル(題名)がない。そこで、第一節が便宜上のタイトルとして使われている。

Do not stand at my grave and weep;
I am not there. I do not sleep.
I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn rain.
When you awaken in the morning's hush
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry;
I am not there. I did not die.

 ここに引用したもの以外にも、この詩には微妙に表現が異なるさまざまなバリエーションがすでに存在し、いろいろな形式や場で使われている。なぜそれが可能かというと、この英詩は著作権がない「パブリック・ドメイン」のものだからである。
 親しい人を追悼する場で読まれることで有名なこの詩の作者が誰か、いつ書かれたのかは明らかではない。原型すらわからない。作者探しがいろいろな人によって行われて、現在のところ、ボルティモアの主婦だったMary Fryeさんが1932年に書いたものが起源だとする説が有力である。英米の複数のインターネットソースには、彼女が親しかったドイツ生まれのユダヤ人女性が故国で重い病気を患った母親を案じて、「(ユダヤ人排斥のドイツに戻って母親の)お墓に詣でてお別れを言うことすら自分にはできない。」と悲しんだことに対して、そのユダヤ人の友人を慰めるために咄嗟に台所で食料品店の紙袋を破って書いたというエピソードが紹介されていた。
 この通説の他に、詩のアニミズム的な要素をとらえて、ネイティブ・アメリカンの伝承が起源だとする説や他にもいろいろあるようである。

 幸か不幸か、この英詩の著者や原型が明確に定まっていないことで、かえってこの英詩が自由な創作の題材となり、日本では芥川賞作家でありシンガーソングライターでもある新井満さんが訳詩と曲をつけて有名になり、新井さんご自身の手による本や絵本も出版されている。

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小学生が学ぶ算数は難しい

 娘が塾の宿題として持ち帰ったプリントにはかなり難しい問題があって、十分理解できていない娘に説明する必要がある。今回説明したのは、「年齢算」というものだった。
 中学入試用の算数の問題集などを見ると、「つるかめ算」や「植木算」、「旅人算」などという名前がついた単元があり、小学生しか使わないような独自の解き方が要求される。これらが特に難解なのである。中学受験では算数の比重が高く、非常に高度な問題が出題される。それで、まだ受験準備初期段階でこのような問題でズッコケないようにと、親は減少している脳細胞を酷使して必死に考えた。

 そもそも、「年齢算」って何? が私の最初の反応だった。最も基本的な問題は、

  「今、子の年齢が11歳で、母は41歳です。母の年齢が子の年齢の3倍になるのは、今から何年後ですか?」

というもの。これを、

  x年後として (11+x)×3=41+x 

としてしまうと小学校の算数ではなくなる。方程式はご法度だからである。では、どうやって考えて式を書くか、で私は小学生のように参考書を読む羽目になった。
 まずは線分図に書いて考えなければならない。両者の年齢の差 41-11=30 は、何年後であっても変わらない。それを踏まえて、何年後かに母の年齢が子の年齢の3倍になる状態を線分図に書き入れてみると、その30歳という年齢差が何年後かの子の年齢の(3-1)倍に相当することがわかる。つまり、

  (41-11)÷(3-1)=15 

で、子の年齢が15歳の時に母が45歳となって3倍となることがわかる。従って、

  15-11=4 

で「4年後」が正解となる。同じように別の基本問題として、

  「今、子が10歳で、母は38歳です。母の年齢が子の年齢の5倍だったのは、今から何年前ですか?」

というものもある。こちらの考え方も、やはり二人の年齢差が一定であることに注目して、

  (38-10)÷(5-1)=7 

と計算して、子が7歳の時に母の年齢が35歳で5倍だったことが導き出せる。あとは、

  10-7=3 

で「3年前」が正解である。
 こうして書くと「なぁ~んだ」だが、私がここまで理解するのに1時間近くかかったのである。Xを使った方程式ならあっという間に解けるのに、なぜこんなに回りくどい考え方をしなければならないのか? それが小学校の算数の難しいところなのだと気付いた。今娘が取り組んでいる「和差算」や「過不足算」も同様である。応用問題になるとさらに難しくなるのに、不惑を過ぎた私の脳味噌がついていけるのかどうか非常に不安だが、難しい中学受験の算数に取り組まなければならない。

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「鉄ちゃん」育成計画進行中(?)

 息子の電車好きは彼が零歳のときからで、初めて発した言葉が電車を指差して「ジージー」だった。本物もおもちゃも本の写真も、とにかく電車はすべて「ジージー」で、「ジージー」に乗せたり、見せたり、(おもちゃを)手に持たせたりすると機嫌が良かった。
 「さすが鉄道マニアの遺伝子!」と鉄道好きの夫の前で、半ば呆れながらよく言ったものだが、遺伝子よりも息子が生まれた後の環境が彼の嗜好を育んだのだろう。夫がかなり意図的に息子が食らいつきそうな餌を少しずつ与えて、「もっと、もっと」と好奇心を掻き立てるように仕向けているように思えてならない。そして、「息子が喜ぶから」と彼をダシにして、プラレールなどのおもちゃを買い足したり、図書館でどっさり鉄道本を借りたり、珍しい鉄道に乗るための家族旅行を計画したり、と夫自身もちゃっかり楽しんでいるのである。

 そんな夫とは20年以上のつきあいなので、私もなかなかの「鉄子」になってしまって、日本の鉄道路線図やら珍しい車両の名前などは結構頭に入ってしまった。おかげで、息子と十分電車で遊んだり、話ができるようになり、私もそれを楽しんでいるのである。
 先週末の三連休は夫が仕事で不在だったが、息子のためにプラレールで高架や立体交差、複線などがある複雑なレイアウトを作ってやったり、JR神戸線(東海道線)で「桃太郎」機関車が引く貨物列車が走るまで駅で待っていたり、神戸市青少年科学館で開催されていた鉄道模型展に連れていってやったりと、どっぷり鉄道遊びにはまっていた。
 鉄道模型展では、Nゲージ、HOゲージだけでなく、珍しいOゲージの模型が走るのも見てきた。話題の映画の撮影に使われた特急「こだま」はもちろん、そこで走っていた模型のほとんどの名称やら走っていた時期や場所まで知っていた自分の「鉄子」ぶりに我ながら唖然としてしまった。夫はズバリ「昭和好き」なので、国鉄色のボンネット特急を見たかっただろうなぁ。

 春休みも5月の連休も、既に鉄道がらみの旅行が決定している。ますます息子の電車好きが助長されるような環境づくりが進行中である。

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最近の若者はスキーをしない?

 昨日は私が住む阪神間でも雪が降った。
 積もったのはこの冬初めてのことで、積雪に免疫ができていないためか、昨日のように降られると公共交通機関が乱れてしまう。土曜日の午後は子供たちを幼児教室と塾に連れていかなければならないのだが、私が車で雪道を走るのが怖くて、昨日は電車やバスを利用した。ところが、阪急芦屋川駅からバスに乗ろうとしたら「雪のため運休」とバス停に掲示されていて、仕方なく雪道をJR芦屋駅まで歩く羽目になり、幼児教室に数分遅刻してしまった。
 子供はおおはしゃぎで、庭の芝生の雪を使って雪だるまを作っていた。このあたりでは雪だるまができるほどの積雪は1シーズンに1度あるかないかなので、子供にはうれしいことなのである。実際私が子供の頃もそうだった。

 雪が珍しいものだけに、私にはスキーも特別のレジャーである。本格的な積雪があるスキー場に行くためには、まとまった休日と費用が必要なこともあって、よくスキーをしていた大学生~20代前半の頃でもせいぜい年に2度ほどしかできなかった。
 1980年代後半からバブル期にかけて、私の周囲では男女問わずほとんどの若者がスキーをしていた。私のように年数回は少ない方で、夜行バスで行って滑ってまた夜行バスで帰ってくるという体力勝負のハード旅行を繰り返す人、スキー旅館の住み込みバイトを毎シーズン続けているツワモノも結構存在した。その頃はスキーが若者のライフスタイルの一部にしっかり組み込まれていたように思う。スキー場では週末ともなるとリフト待ちの列ができ、色とりどりのウェアに身を包んだ若者で賑わっていた。逆に、私が関心を払っていなかったこともあるが、ファミリーをあまり見かけなかった。
 最初の子の妊娠以来私たち夫婦はスキーから遠ざかっていたが、2年ぐらい前から年に1度のペースで再開した。真っ先に感じたのは、スキー場の客層が様変わりしたこと。かつてスキー場を占拠していた若者グループはずいぶん規模が小さくなってスノーボードに変わり、代わりに子連れスキーヤーが異常に目立っていた。特に昨年末に行った長野県北部の某スキーリゾートは、明らかにファミリー客をターゲットにしていて、ホテルでも隣接するスキー場でも小さな子供が楽しめるような施設やサービスが大変充実していた。当然右を見ても左を見ても、我が家と同じようなファミリーばっかり。
 
 「今の若者はスキーをしないのだろうか?」と疑問を持った。それを裏付けるような新聞記事などを結構見かけるようになり、どうやら本当に若年層のスキー人口は減っているらしい。『レジャー白書』の2007年版に掲載されている社会経済生産性本部がまとめたデータなどを見ても、20代で年に1回以上スキーに行った人の割合(参加率)がこの10年あまりで激減している。どうやら1990年前後の私の周囲のような「若者は誰もがスキーに行った」時代は過去のものとなったようである。
 なぜそれほどまでに若者のスキー人口が落ち込んでいるのか? 理由はいろいろ考えられる。当然の事ながらスキーは高額なレジャーであるので、フリーターや派遣などの不安定な雇用にある若者には敬遠される。正規雇用で収入は安定していても、忙しすぎてまとまった休暇が取れない人にもスキーは避けられるだろう。それだけでなく、若者の嗜好の変化もスキー不人気に影響を及ぼしているという説もあった。『日本経済新聞』の1月31日夕刊の記事によると、「若者は面倒くさがり?」で、スキーや職場の飲み会などグループで行動することよりも、自室でのんびり過ごすことを好む若者が増えているらしい。

 スキーというレジャーのメインターゲットである若者がスキー離れを起こしてしまうと、スキー場や宿泊施設は大打撃だろう。そこで、今はファミリーを顧客層に据えているようである。かつてバブル期にスキー三昧だった世代をまたスキーに呼び戻そうとしているのだろう。
 小学生の娘が学校からスキーに行ったところ、同級生の多くがすでに経験者だった。今や10代後半~20代の若者よりも、30代後半~40代のバブル世代とそのジュニアである10歳前後の方がスキー人口の主流となっている。ただ、今から10年後にジュニア世代が若者となって、またスキー場は若者で活気を呈するかどうかはわからない。

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震災の記憶を語り継ぐ その2

 昨日に、授業参観で聞いた震災のもたらした悲劇と私の家族の震災後のエピソードについて書いたが、他にも私が親戚や、職場の同僚、知人などから聞いた震災体験はもっともっと多い。それらすべてがあの地震とその後の混乱を経験しなかった私には、マスコミが伝えるどんなエピソードよりも実感を伴った。
 毎年1月中旬になると、それらの体験談がそれを話した人の表情や仕草と共に思い出される。涙ぐみながら話してくれた人もいれば、震災後しばらく経た時期に当時の苦労を笑いながら面白おかしく話した人もいる。きっとそのときは笑い事では済まなかったはずだが、ある程度時間を置いたことで、懐かしさと当時に客観的に振り返る余裕もできたのだろう。

 そのようなエピソードをすべて記したいのだが、私の親戚が語った2点だけ紹介したい。どちらも非常に些細なことだが、6000人を超える犠牲者と何万人もいる被災者の具体的な思い出として私には印象深かったコメントである。
 私の親戚(正しくは姻戚)の多くが阪神間に居住していて、震災を体験している。夫の叔母は、芦屋に住んでいた実のお姉さんを震災による家屋の倒壊で亡くした。遺体は医師による検死が終わるまでは引き取ることができず、近くの学校で叔父と叔母が付き添って長い間その順番を待っていた。遺体はがれきの下から見つけられたその状態で、叔母はせめて土砂にまみれて汚れていた亡き姉の顔だけでもきれいに拭いてやりたいと願ったが、避難所にもなっていたその学校では水は貴重で、叔母はそれができなかった。「いつまでも汚れたままにして、姉に申し訳なくて・・・」と悔しそうに語ってくれた。
 震災の前日に、夫の従弟が結納を交わした。その婚約者は結納式で着た振袖を片付けずに自室に掛けていたのだが、その晩に震災で婚約者の家は全壊した。幸い婚約者の家族全員は無事だったが、家はとても住めるような状態ではなく、家財もほとんど持ち出せないほどだった。震災後に賃貸マンションに入り、しばらくしてから建て替えるために全壊した家を撤去する作業を見守っていると、重機が持ち上げたがれきの合間に振袖の模様がちらりと見えたそうである。後日従弟が現像して婚約者に渡した結納の写真に写っていた振袖は、家と共に震災で消えてしまった。
 なお、従弟たちは95年の春に神戸のホテルで結婚披露宴を挙げる予定だったが、兵庫県の公務員である二人はそれどころではなく、入籍だけしてずいぶん経ってからひっそりとハワイで二人で挙式した。

 叔母も従弟のお嫁さんも、震災によって他にも多くの苦労をしたはずである。しかし、彼女たちが自分の震災体験を語るのに真っ先に出てきたエピソードが、ここに書いたような非常に細かい感情であり、観察なのである。

 

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震災の記憶を語り継ぐ

 1月17日の早朝は、いつものように台所に立っていた。BGMのようにつけっぱなしにしているNHKニュースが、5時40分過ぎに神戸からの中継になり、阪神・淡路大震災の犠牲者追悼のためにロウソクを点して祈る人々を映し出していた。震災の発生時刻には、私も炊事の手を止めてしばし黙祷を捧げた。

 その日のニュースや新聞で繰り返し見聞きしたことは、阪神・淡路大震災から13年ということで「風化させない」、「震災の記憶や教訓を語り継ぐ」というものだった。
 秋に娘の学校で授業参観があったときに、社会科が震災のことを子供たちが調べてきて発表する時間に充てられた。その前に宿題として身近な人々に震災の体験談をインタビューする課題を与えられていたのである。そのときに何人かの子供の発表を聞いたが、いちばん親子揃って真剣に聞き入ったのは、ある母親の手記が読み上げられたときだった。
 その内容をかいつまんで記すと、震災当時はこのお母さんはご主人の仕事で東京に住んでいた。震災のニュースを見て、西宮市夙川エリアの実家に電話したが全く通じず、家族の安否がわからぬままにただ一日中テレビを見続けたそうである。ようやく1月17日の夜更けにお父さんから電話がかかってきて、家が倒壊して実のお兄さんが亡くなったことを知った。翌日東京から西宮に帰ったが、阪急電車が西宮北口までしか動いておらず、そこから徒歩で夙川まで行く道中の風景は映画のセットを思わせるような酷い状態で、彼女が生まれ育った家は無残にも倒壊していて、言葉を失ったそうである。その後、遺体安置所になっていた体育館で変わり果てたお兄さんと、その横で寝間着姿で前日から呆然と座り込んだままの実のご両親に再会したことや、その体育館には無数の遺体、中には毛布に包まれた小さな遺体もあって、胸を痛めたことなどが綴られていた。
 小学校入学前の幼児教室に通っていた頃からそのお母さんとは面識があるが、そのような辛い経験をされていたことは全く知らなかった。普段は明るく快活な方が、恐らく1月17日には過去に戻って涙ぐんでおられるのだろう。
 このような震災の記憶が、その後に生まれた子供たちにも語り伝えられることは大切なことだと実感した。そのときの発表の多くは、子供たちの両親が経験したこと-例えば震災後に電気や水道が止まって不便な生活を強いられた、電車の不通により自転車で1時間以上もかけて通勤する毎日を過ごしたなど-だったが、そのような実体験を伝えることも非常に大事である。

 私は、昨年書いたように被災地の住人ではあるが、震災を経験していない。娘のインタビューに対しては、安否確認の電話が国際電話の方がよく通じたことを話した。それから、夫と私の両親の体験談も。
 当時私の両親は関西の別の県に住んでいて地震の揺れだけは体験している。1月17日は父は普段通りに大阪にある会社に出勤し(大阪と神戸は20数キロしか離れていないのに、大阪は普通に企業や学校等は機能していた)、母は被災地の夫の実家に手伝いに行った。母はあまりにも家の中がぐちゃぐちゃになっているのに唖然としたが、午後に東京から帰ってきた夫の姉とともに片付けや給水車に水をもらいに行くなど動き回った。しかし、男手がないと倒れた家具などを戻せないからと、夕方に父を電話で呼び出して、父は職場からスーツ姿でやってきた。父は、母に「何か火を使わずに食べられるものと飲料水を買ってきて。」と頼まれたため、途中の阪急十三駅付近のコンビニなどに行ったけれど水やお茶はすべて売り切れで、仕方なく缶ビールを買ったのである。父も合流して一仕事した後、双方の両親と義姉の5人で父が買ってきた寿司と缶ビールを食べていたところ、近所に住む夫の友人が様子を見に来た。その友人は今でも震災の話題になると、「この家では、1月17日の夜に寿司とビールで酒盛りしていた」とからかい、我が家ではもはや笑い話のようになっている。先の身内を亡くした方の体験談と比べると、何とも軽率な話であるが、その日はビールよりも飲料水を確保する方が大変だったのである。
 夫の両親はいつも「あの時、お父さん(私の父)が買ってきたお寿司と酒饅頭(十三の名物)ほどおいしいと感じたものはなかった。」と言っている。震災で早朝から酷い経験を積んできて心も体も疲れていたのだろう。その日、その場にいなかった私には共感できないことだが、このことも娘に話した。
 娘には、このような身近な体験談から自分が生まれる前に大きな災害があったこととを知って欲しいと思っている。

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年越しの年末掃除(笑)

 2008年が明けた。
 ニュースでは連日世界中の不穏な情勢や環境の悪化、国内の不安定な社会の動向ばかりで明るい話題に乏しいが、新しい年が誰にとっても良い年となることを願う。

 さて、私の冬休みは例年よりも長くて、まだ休みが続いている。
 ここ数年、「値段が高く、混み合う前に」と12月25日から旅行に出発する習慣になっており、昨年末は信州に行って家族でスキーをしてきた。帰ってすぐに実家に帰省するため、年末の掃除などの諸処の雑事は12月24日までに済ませておかなければならなかった。それで師走に入ると同時に計画を立てて週末に動き始めたのだが、昨年末は週末に天気が悪かったり、急な外出予定が入ったりして、なかなか予定通りに事が運ばなかった。年賀状はなんとか25日の朝に投函したが、大掃除は風呂、トイレ、キッチンを終えた段階で頓挫して2007年を終える羽目になってしまった。
 実家での年末年始は、普段見ないテレビを見たり、子供たちは東京方面から帰省してきた従妹と遊んだり、親子揃ってその子のDSを借りて熱中したり・・・とのんびり過ごしたが、私の心の隅では中途半端に終わった掃除のことが気になっていた。
 2日に帰宅して、3日はまだ世間は正月だと言うのに、何と我が家は大掃除を始めた。お天気だったので、夫が家中の窓を外から洗って、私が内側を拭き、ついでに食器棚やテレビの画面などガラスを使ったところをすべて拭き掃除した。カーテンは年末に1階は洗ったので、2階のカーテンを洗濯し、カーテンレールの上などのほこりを掃除した。ちゅん丸は1週間以上乗らずに放置していたので、セルフのガソリンスタンドで給油と同時に窓拭きをし、簡易洗車も済ませた。
 隣に住む夫の両親からは「正月から何しているの?」と言われたが、やっと年越しで年末掃除を終えてほっとした。これで気持ち良く新年を迎えられたように感じる。
 
 今日は4日で、仕事始めの人も多いだろう。私はまだお休みだが、そろそろペースをもとに戻そうと娘には宿題をさせ、私もこうしてパソコンに向かっている。

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冬の公園

 師走の三連休は、冷たい雨が降り続く土曜日から始まった。午前中に息子が通う保育園のクリスマス会があり、午後はお決まりの子供たちの習い事の送り迎えに走りまわった。
 中日の天皇誕生日は曇りから晴れになり、気温もまずまず上がった。スイミングスクールや買い物などの用事を済ませてから、日が傾かないうちにと子供たちと近くの公園に行った。我が家から自転車で5分ほどの所に、大きな公園がある。春は花見の人で賑わい、秋の週末は子供連れがよく来る公園で、我が家もよく利用している。ただ、冬の週末はどうしても足が遠のいてしまう。息子は保育園の先生に連れられて週に何度も来ているようだが・・・。
 久しぶりに公園に出かけた理由は、娘がインラインスケートで滑りたがったからである。息子に先月買ってやったキックボードを練習させるのも一緒にできるから、自転車にヘルメットやプロテクターも積んで出かけた。

 冬の週末、しかも午後3時を過ぎた頃に公園で遊んでいる子供は少ないだろうと予想していた通り、親子連れはそれほどいなかった。その公園では舗装された遊歩道が園内をぐるぐる回っているので、子供が自転車や一輪車などの練習をするのによく使われている。今日は空いていたので、インラインスケートやキックボードも遠慮なくできた。
 子供の姿は少ないのだが、意外なことに公園には若者や大人が多かった。スケートボードを練習する高校生ぐらいのグループやサッカーのドリブルの練習をしている中学生ぐらいの子たち、黙々とジョギングやウォーキングをする人々、そして犬の散歩をする飼主たち・・・。冬の公園はいつも私が利用している時間帯の風景とはずいぶん違っていた。いつもは子供の歓声で賑やかな公園が違う表情を見せていた。

 娘や息子がぐるぐる遊歩道を回っている間、一面に黄色の絨毯を敷き詰めたような大きな木の下を歩いてみた。

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サッカー界の共通言語は?

 世界中で最も人気がある球技がサッカーであることは広く知られている。4年に一度のワールドカップ開催時のメディアの露出度を見ても頷ける。
 先週末まで日本でクラブチームの世界一を決定する大会が開催されていて、欧州代表のACミランが優勝した。このチームがイタリアのセリエAやヨーロッパのチャンピオンズリーグを一つずつ勝ち残ってきた軌跡を見ると、ここに至るまでに気が遠くなるほどの戦いを続けたことがわかった。ヨーロッパ各国にはそれぞれサッカーのリーグがあり、トップリーグから下部リーグまで含めると一体どれだけのクラブチームがあるのだろうか。ヨーロッパに限らず、南米、中米、アフリカなどどの地域でも同様で、本当にサッカーは競技人口もファンの数も群を抜いて多いと思う。

 私はサッカーに関してはルールもほとんどわからない素人である。素人だからこそ突拍子もない疑問だと笑われるかもしれないが、最近気になっているのはサッカーで共通語は何語なのだろうかといういうこと。競技人口の多さだけでみるとスペイン語だろうが、近年のワールドカップ優勝国であるドイツ、フランス、ブラジル、イタリアもそれぞれサッカー人気は高く、これらの国の言語も無視できない。逆にベッカム様のイングランドぐらいしか目立たない英語はマイナー言語かも。FIFAのホームページは独、仏、西、そしてマイナーなはずの英語の4ヶ国語で提供されているし、ACミランのオフィシャルサイトは世界中のファンに配慮してか、何と伊、英、西、葡、中、日本語の6ヶ国語のページが用意されている。サッカー界では国連のように公用語が複数あると見てよいのだろうか。
 日本のJリーグでも大勢の外国人監督や選手が在籍しているし、ヨーロッパのチームも多国籍軍である。そのようなチームではどんな言語で指示が飛び交っているのかしら。国を越えてチームを移籍して活躍する選手や指導者は、複数言語の使い手なのだろう。ヨーロッパの人は母国語以外にもいくつかの外国語を話せるのは別に珍しくないとよく聞くし、現にスペイン語が母国語の人がポルトガル語やイタリア語を理解するのにはさほど苦労はいらないようである。そのような選手達に混じってプレーをする日本人選手はサッカーの技術の差だけでなく、言葉や文化のハンディをも乗り越えなければならないので大変だろうと思う。しかし、引退した中田英寿選手が努力の成果で流暢なイタリア語を話すと聞いて感心した。ヨーロッパの言語は日本人にはあまり馴染みがないにもかかわらず、海外に移籍した日本人選手がコミュニケーションで苦労している話はあまり聞かない。日本人メジャーリーガーの多くが英語の意思疎通で苦労しているとは違うのだろうか。
 サッカー界では国や言語の違いは大きな意味を持たず、素晴らしいプレーは世界中で通用するのだろう。まさに「インターナショナル」なスポーツと言えよう。

 こんなことを考えていたら、ニュースでFIFAの最優秀選手にACミランのカカ選手が選ばれたと報道されているのを見た。MFとして素晴らしいプレーを見せる彼はルックスも良く、きっと人気があるのだろう。カカ選手はブラジル人で、ブラジル代表選手でもある。当然彼の母国語はポルトガル語で、イタリアのチームでプレーをしているからイタリア語もOKだろう。ところが、ニュースでちらっと放送されていた彼の受賞スピーチは何と英語だった。「サッカーで英語?? 世の中の英語支配はサッカーまで来たか!」とサッカー界で英語はマイナー言語だと勝手に思っていた私が驚いたのは言うまでもない。英語ならわかる私としては彼が何を話したかが理解できてよかったのだが・・・。確か「聖書の教えでは、神は望む以上のものを私たちに与えてくださる」と述べた上で、"...that is what has happened to me."と続けて、締めくくりは"Thank you."だった。

追記) どうでもよいことだが、ACミランの対戦相手だった南米代表のボカ・ジュニアーズ。大学でスペイン語をとって、遊び半分で学生時代にスペインに1ヶ月間語学留学した夫に「ボカってどういう意味?」と聞いてみた。すると「確か”口(くち)”」と答えが返ってきて、「???」 
どうやらボカは地名のようである。「口」なんてチーム名は絶対おかしいから、ほっとした。

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Cool Japan!―アニメとマンガの先進国

 私は今のアニメやマンガのことを全くと言って良いほど知らないが、これらがオタク文化の筆頭となって、根強い人気を誇っていることは理解している。しかも、日本国内に留まらず、海外においても非常に高い評価を受けていることも知っている。かつては私もテレビで放映されていたアニメ番組をよく見ていたことから、国内外での人気にも「さもありなん」と思う。

 しかし、今や日本のアニメやマンガがどれほど世界で注目されているかは私の理解を超えてしまった。ここ数年新聞や雑誌で読んだところでは、もはやANIMEやMANGAは日本の一大輸出品にまで昇格してしまったようである。これらが日本文化の象徴と受けとめている人々が世界中に増えていることは驚きである。
 しばらく前に『読売新聞』が「日本 海の向こうから」という特集記事を連載しており、11月21日付け朝刊の1面に第1回目として「マンガ浸透 熱狂と懐疑と」という記事を載せていた。この記事では、南アフリカの名門大の学生たちが「字幕や吹き替えなしで(日本の)アニメを見るために」日本語を勉強している様子から、いかに日本のアニメやマンガが海外で人気があるかを報じていた。それらのファンは、アニメやマンガを通じて多様な日本の価値観を知るようになったようである。

 今年の夏に子供を連れて久しぶりにアメリカに行った。夫と私が訪米すると、必ずBarnes & NobleやBordersなどの大型書店をハシゴするのだが、今回どの店にもMANGAコーナーがあるのに驚いた。そこに並んでいるのは、アメリカンコミックではなく、まぎれもなく日本のマンガが英訳されたものだった。NARUTOとか今日本で人気のあるものが大量に売られていたのだが、これは先の『読売新聞』の記事の「米国のマンガ市場は今年、2億2000万ドル規模に急伸する見込みだ。」という人気ぶりを証明するものだった。実際、試しに娘にCLAMPの"TSUBASA"を1冊買ってやった。それをレジに持っていって、店員に「MANGAコーナーがあって驚いた」と話したところ、「すごい人気で、よく売れているよ。」とのコメントが返って来た。
 娘はCLAMPの「カードキャプターさくら」が好きで、以前NHK教育チャンネルで放映されていたアニメを私は見せていたし、原作マンガ全12巻も持っている。英語が全く読めない娘でも、英語版のマンガを欲しがるのなら、さぞやアメリカ人のファンに売れていることだろう。「カードキャプターさくら」は英語吹き替えでアメリカでも放映されたと聞いている。
 ちなみに、娘に買ってやったMANGAは日本のマンガと同じく右綴じで右開きになっていた。吹き出しのセリフや効果音だけが英語になっているため、絵の進行は縦書きと同じだからである。これがアルファベットを使う国(当然横書きなので、本はすべて左綴じで左開き)で売っているのも驚いた。今娘のMANGAが手元にないので確認できないが、確か裏表紙の内側に「ここから読むのではない。MANGAは逆から読む。」みたいな注意書きが書かれていた。左開きに慣れている人は真っ先にMANGAの裏表紙を開けてしまうだろうから、この注意書きが必要なのだろう。

 ここ数年、大学でアニメやマンガを専攻する学部や学科が次々に誕生し、有名な漫画家やアニメーターが大学教授として迎えられていることが話題になっている。これらの学科では、技術を教えて次世代のクリエーターを養成しようとしているのだろうか。あくまで私の個人的な意見だが、クリエーターの養成も重要だと思うが、大学でやることではないと思う。それよりも、これだけ日本文化の象徴にまで昇格したアニメやマンガを学術的に研究しようとすることが必要なのではないだろうか。
 私がアメリカの大学院に在籍していた1990年代初めには、すでにアメリカでは日本研究の一環でアニメやマンガを研究題材としている研究者は存在していた。文化人類学者であったり、社会学者であったりしたが、彼ら彼女たちはアニメやマンガを媒体にして表現された日本人の思想などを探っていた。例えば、あるとき一度だけだが会ったことがある研究者は、原爆投下で世界で唯一放射能にさらされた日本国民が放射能をどのように受けとめ理解しているかを研究するために、「ゴジラ」の映画などを調べていた。その人の話では、日本に留学する海外の研究者や大学院生は、何も日本の古典文学や歴史を研究するためばかりでなく、もっと”普通な”日本社会を研究することを目的にしている人も増えているそうである。

 アニメやマンガを通じて日本に関心を持つ人が海外に増えること自体は悪いことでは決してないが、アニメやマンガだけが日本の今を伝える媒体になるということがないように・・・と願う。

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働く母親と子供の受験

 フルタイムで働いている母親が子供の受験につきあうのは、仕事と家事・育児との時間や労力の配分に苦労している日常にさらに負荷がかかることである。
 この数年、新聞や雑誌に「働く母親の受験と仕事との両立」に関する特集をよく見かけるようになった。それほど子供の受験が私を含めた多くのワーキングマザーの関心事になっているようで、それらの特集記事には必ず体験談が載せられている。ほとんどの母親が時間などの遣り繰りに苦労しながらも、いろいろな工夫をして乗り切ったことが紹介されており、後に続く人への励みとなっているのだろう。
 これらの特集でいう「受験」とは中学校受験のことである。高校以上の受験は子供当人が主体で親のかかわりは限定されるため、母親が働いていることがさほど影響を及ぼさないだろうが、中学校の受験においては、まだまだ親が積極的に干渉しなければならない。子供のメンタルな面も含めた体調管理は親の責任であり、塾や志望校の選択には親がある程度主体となり、実際説明会や学校見学などに足を運ぶのは親である。他にも日々の勉強の進度をチェックしたり、助言を与えたり、塾や模試の送迎をしたり・・・と親がやらなければならないことは多い。これらをすべて勤務時間外に普段の家事に加えてやるのだから、大変なのは当然だろう。それにもかかわらず、経験者が口をそろえて「母親が働いていることで不利ということはない。」と断言しているのには勇気づけられる。
 娘はまだ4年生だから、まだ我が家がこのような生活になるのには猶予がある。しかし、確実にその時が私の身にも近づいている。

 中学受験ほど社会問題化していないにしろ、「働く母親の小学校受験」というものもある。ところが、それが世間の関心事にならないのは、そもそも小学校受験自体が少ないだけでなく、はなから「フルタイム勤務の母親」と「小学校受験」は両立できないものという偏見があるためと思うが、間違っているだろうか。
 私はこれの経験者であり、今当事者でもある。うすうす予感はしていたが、上の子の受験準備を始めた時に、母親がフルタイムで働いていることは珍しいようで、よく「大変ですね。」と言われた。しかも、子供が保育園に通っていることも稀なのか、書類等には必ずと言ってよいほど「在籍幼稚園名」を記入するようになっていた。
 結論から言えば、中学受験と同様に決して働く母親に小学校受験が無理なことはない。子供たちが通った幼児教室は土曜日午後のクラスを選択したので、送迎や参観は対応できる。ただ、入試日も含めて平日にいろいろ受験関係の行事が組まれることが多く、それにすべて母親が行くことは難しいのは確かである。開業医である知人は、それらの行事のほとんどは自分の母親(おばあちゃん)に送迎や出席を任せていたし、私も仕事の都合がつかない日の送迎はベビーシッターさんを頼んでいた。しかし、中学校受験勉強と違って、机に座らせてペーパーテストの練習をさせる時間はそれほど必要ないので負担は少ない。むしろ、絵本を読み聞かせたり、一緒に絵や工作をしたり、ボール遊びなどをしたり・・・と受験準備という名目で子供と触れ合う機会を積極的に持つことがよかった。行儀作法や言葉遣い、基本的な生活習慣を身に付けさせることなどは親の義務であり、母親が働いているか否かに関係ない。それに、いくら「在籍幼稚園名」しかなくても、保育園に通う子供に小学校の受験資格がない訳ではなく、以前「保育園っ子」で書いたように、うちの子供たちは保育園で非常に多くのことを学び、それが受験に役立った。
 「働く母親に小学校受験は無理ではない」と私は断言できるが、「不利ではない」とまでは言い切れない。というのは、国立は別として私立小学校にはそれぞれ学校の教育方針や価値観があるので、母親は家にいるのが良しとする小学校もあるだろう。だから、母親が働いているのなら、学校との相性を見極めて志望校を決める手間を惜しんではならないと思う。6年間子供を通学させることで学校とはつきあっていかなければならないので、家庭と学校の価値観が合致したところを選ぶべきである。
 もし私が経験者として意見を求められたら、以上のように答えるだろう。

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ユニークな州のニックネームとナンバープレートの話

 先日、アメリカのバーモント州のニックネームが"Green Mountain State"であると書いた。全米50州にはそれぞれ1ないし2つのニックネーム(ほとんどがオフィシャルなもの。一部非公式なものもあり)を持っていて、州民に親しまれているようである。ふと、どの州がどんなニックネームを持っているのかが気になって、いつも机上にあって何かと調べごとに役立てているThe World Almanac and Book of Facts 2008を開けてみた。すると、予想通り各州の統計データが記載されている項目にニックネームも掲載されていた。他にもインターネット上のウェブサイトでは、各州が認定したオフィシャルなニックネームだけでなく、他の愛称も見ることができる。
 日本人に馴染みがあるハワイ州の"Aloha State"、ニューヨーク州の"Empire State"、カリフォルニア州の"Golden State"というのは、今までに何度か耳にしたことがある。カリフォルニアは19世紀にゴールドラッシュで沸いたことに由来するのかもしれない。
 こうして50州のニックネームを眺めていると、その由来にいくつかの傾向があることがわかる。
 まず、州の歴史や特異性に由来するものである。ワシントンDCの近くにあるデラウェア州は"The First State"と呼ばれているが、その名の通り「独立13州」の中で最初に合衆国憲法を批准した州である。また、北東部のコネティカット州は合衆国憲法批准では5番目の州ではあるが、17世紀にこの州で書かれた"The Fundamental Orders"が最初の憲法であり、後の合衆国憲法のモデルとなったという経緯で"Constitution State"がオフィシャルなニックネームとなっている。面白いところでは、コロラド州の"Centennial State"がある。ここは1876年に38番目の州となったが、その年が独立100周年であったことから、この名がついたのだろう。テキサス州の"Lone Star State"は、19世紀のテキサス共和国時代の国旗から来ているようである。
 次に、その州の地理的な特徴に基づくものがある。五大湖の内4つの湖に隣接するミシガン州の"Great Lakes State"や、アリゾナ州の"Grand Canyon State"、鉱業が中心のモンタナ州の"Treasure State"などはその一例である。カリブ海に面した温暖の地フロリダ州の"Sunshine State"もこのカテゴリーに属するだろう。
 それから、各州が定めた州の花や樹、鳥などに由来するものが挙げられる。州民以外にはあまり馴染みがないだろうが、実は数の上ではこれが州のニックネームとしては最も多い。カンザス州の"Sunflower State"や、メーン州の"Pine Tree State"、ルイジアナ州の"Pelican State"などがそうである。オレゴン州の"Beaver State"というニックネームも、ビーバーが同州の保護動物になっていることに由来する。
 最後に、上記の3つのカテゴリーのどれにもあてはまらないようなニックネームが残っている。意外性があるというか、日本人の私には「これが州のニックネーム?」とか「何で??」と首をひねるようなものが多い。例えば、ペンシルベニア州の"Keystone State"や、テネシー州の"Volunteer State"、オクラホマ州の"Sooner State"などなど。インターネットで調べてみると、それぞれ由来があり、わりと州の歴史的事項に関わっていることが多いようである。"Sooner State"というのは、開拓時代に「早い者勝ち」で土地の占有権を認めたことに由来するようだが、それが事実なら面白い。

 私がバーモント州滞在中に乗り回していたレンタカーのナンバープレート(英語ではLicense Plate)は、緑一色の地に白い文字でナンバーが中央に枠囲みで表示されて、上にやはり白文字で"Vermont"と1本の木の絵、下に"Green Mountain State"と描かれていた。日本のナンバープレートはデザインとしては全国共通で何も面白みがないが、アメリカは州ごとにデザインや色が異なっているので見比べるのが楽しい。昔のプレートはバーモント州のように単色でシンプルなものが多かったが、近年はカラフルになっているからなおさらである。それらのカラフルなプレートには、その州を特徴づけるような色やイラストが使われて、州名の他にニックネームやモットーなどが表示されていることが多い。
 私が州のニックネームを意識したのも、その土地土地でレンタカーを借りるたびにLicense Plateを見るようになったことにも起因する。今年の夏に久々に訪米した際にも、いろいろな州のナンバープレートを見ている。シアトルで借りた車についていたプレートは、バックがワシントン州の名物「タコマ富士」ことMt. Rainier(レニエ山)のイラストで、"WASHINGTON"と"EVERGREEN STATE"と表示されていた。インディアナ州のプレートは牧草地のような風景に"INDIANA"と何と"www.IN.gov"とニックネームの代わりに州サイトのURLが表示されていて驚いた。さすがインターネット時代のプレート!
 インターネット上でアメリカのおそらく個人サイトだが、各州のLicense Platesの変遷が画像つきでわかるサイトを見つけた。このサイトによると、インディアナ州がウェブサイトでの投票の結果でこのプレートを採択したのは2003年らしく、それまでは全く違うデザインのプレートだった。そういえばインディアナ州内でも違うデザインのプレートをつけた車を多く見かけたので、変更はごく最近の出来事であったことがわかる。以前のデザインにはURLの代わりに"The Crossroads of America"と表示されていたようである。これはインディアナ州のニックネームではないが、もっと昔の80年代のプレートには"HOOSIER STATE"というニックネームが入っていたらしい。
 このサイトでいろいろな州のプレートの変遷を見たところ、ニューヨーク州のプレートが私の知っている自由の女神が真ん中に描かれたものから、ナイアガラの滝とマンハッタンの摩天楼が入ったデザインに2001年に変更したようである。それと共に、それまでなかった州のニックネームが表示されるようになった。逆に、カリフォルニア州は近年シンプルになっていて、州のニックネームはなくなった。例外はあるものの、アリゾナ州のサボテン、フロリダ州のオレンジ、コロラド州のロッキー山脈などご当地名産物のイラストをつけるのが近年流行っているようである。

 各州のニックネームにしろ、ナンバープレートのデザインにしろ、その州の独自性が見られて非常に興味深い。「真似しろ」とは言わないが、日本でも「ご当地ナンバープレート」ができたので、あと一歩進んで地名だけでなくデザインにも地域性を持たせたら楽しいだろうに。

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Green Mountain State-バーモント州

 もうずいぶん前になるが、ある雑誌でターシャ・チューダーさんの特集記事を読んだ。
 ターシャさんは、92歳という高齢にもかかわらず、自然に囲まれた山小屋で絵本や挿絵作家としての創作活動を行いながら、庭で花や野菜を育て、自らが使う衣服や日用品を手作りするという19世紀の生活様式を実践している女性である。彼女の絵本や庭の写真集などが日本でも売られていて、さらにNHKで取り上げられたこともあり、質素だが素朴で自然体の彼女のライフスタイルに憧れる女性は多いらしい。その特集記事によると、「物ではなく心の充足を追求する」という生き方が共感を呼び、ファンが増えているようである。

 私はターシャ・チューダーさんのことはそれまで知らなかったが、この特集記事をしっかり読んだだけでなく、その後写真集も書店で見た。しかし、それは彼女のライフスタイルやイラストに憧れたからではなく、アメリカのバーモント州にある彼女の住む家と庭に懐かしさを覚えたからである。
 詳しい目的やいきさつは省略するが、1990年代の初めに私はバーモント州に5ヶ月間滞在した。その滞在中の7月初めの2週間、縁あってある50代の夫婦の家にホームステイしたのだが、その家や庭の雰囲気が非常にターシャさんのそれと似ていたのである。
 小さな町の外れから、さらに舗装していない道を1マイルほど森の中を走った所にその家はあった。庭から見渡す限り山と森が続き、他の家は全く見えず、もちろん街灯なんてないから、夜は闇に包まれる。家はまだ築数年足らずだったが、わざわざ木造で古めかしい外見になっていて、リビングはまさに1800年代の雰囲気だった。最新の電化製品を揃えたキッチンやバスルームとはあまりにも対照的で、この家を建てた夫婦のこだわりを感じさせるものだった。この夫婦はともに博士号を持ち、車で30~40分ほど離れた町でカウンセリングのクリニックを開いていた。2人ともニュージャージー州の出身ながら、田舎生活に憧れて、子どもたちが独立したのを機にわざわざバーモント州の森の中に家を建てたのである。そのあたりもターシャさんの事情と似ている。この夫婦もガーデニングが趣味で、仕事や教会に行かない日はずっと庭に出ているほどだった。ただ、ターシャさんとは違って、この家には電気も水道も引かれていて、庭の端に巨大なパラボラアンテナが設置され、2台の車やパソコンも含めた現代的な生活をしていたが・・・。

 バーモント州と聞いて、すぐに場所が思い当たる人は少ないだろう。それほど日本人には馴染みが薄い州である。某食品メーカーのカレーの商品名の印象が強いだろうが、決してカレーの産地ではない。
 アメリカ合衆国の北東部ニューイングランドと呼ばれる地方にあり、北側はカナダと接した小さな州である。隣接するマサチューセッツ州やニューハンプシャー州は「独立13州」のメンバーだが、そこにはバーモント州は含まれていない。独立戦争の主要な戦場となるなど既にその時代から拓けていたが、14番目の州に昇格したのは1791年である。
 Vermontはフランス語のvert mont(緑の山)が由来らしく、州のニックネームは"Green Mountain State"である。そのニックネーム通り州の面積の4分の3は森林地帯で、実際なだらかな山々が続き、その谷間に川と道路が走り、湖と小さい町が点在している所だった。そのような「緑の山」の州なので、人口は州全体で約62万人(2004年 全米50州で49番目)しかおらず、その約96%が白人らしい。「人種のるつぼ」のアメリカ合衆国において、アフリカ系、アジア系、ヒスパニックなどを全部まとめてもわずか5%足らずと、まさにエスニックマイノリティになっているという珍しい州であることが特徴である。
 私も行くまではバーモント州のことはほとんど知らなかった。しかも、私自身がバーモント行きを選んだわけではなく、そのきっかけは与えられたものだった。しかし、行ってみると、四季がはっきりした気候や緑と水が多い地形は日本人である私には居心地が良く、すっかりバーモントファンになってしまった。週末になれば、"Green Mountain State"と書かれて緑一色のバーモント州ナンバーのレンタカーであちこちドライブした。ひとつ残念だったのは、バーモントが最も美しいのは秋の紅葉の季節だと聞いていたのに、その紅葉を見る前に立ち去らざるをえなかったことである。

 バーモント州を含むニューイングランド地方を好んで住み続けた作家や芸術家は多い。このブログのタイトルである"Nothing Gold Can Stay"の詩を書いた有名な詩人であるRobert Frostや私の好きなイラストレーターであるNorman Rockwellは、隣接するマサチューセッツ州が創作の拠点だったが、一時期バーモント州にも住んだことがある。ちょうど私が滞在中に亡くなった名ピアニストのRudolf Serkinは、ボヘミア生まれでヨーロッパやニューヨークなどで活躍しながらも、長らくバーモント州の田舎を愛して当地でマールボロ音楽祭を主催し、バーモントの自宅で逝った。
 先述のターシャ・チューダーさんも、「わたしはここの何もかもに満足しています。家にも庭にも、動物たちにも天気にも、バーモントのすべてに」と語っている。


p.s. 余談だが、バーモント滞在中に知人に件のカレーの話をしたら、「日本では何でカレーの商品名に?」と首をかしげていた。バーモントはリンゴの産地なので、そこからネーミングされたのかも。たまたま立ち寄ったボストンのアジア食料品店でその商品を購入できたので、知人にパッケージ(輸出用なので英語標記だった)を見せたら大ウケしたのは言うまでもない。
もうひとつ。ダイアン・キートンがキャリアウーマンを演じた1987年の映画「赤ちゃんはトップレディがお好き」(原題 Baby Boom)の中で、主人公がリンゴがいっぱいできる田舎の家に赤ちゃんを連れて移住するのだが、その家はまさにバーモント州にあるという設定だった。あの映画を見ると、バーモント州はアメリカ人にとっても「田舎」のイメージのようである。

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読み継がれる絵本はロングセラー

 以前、世代を超えて読み継がれている絵本のことを書いた。そのときに『ぐりとぐら』を例として挙げて、「私が子供の頃と変わらない装丁で、今も書店の絵本コーナーで並んでいる」ことについて触れた。1967年の出版以来40年にわたって、その時代、その時代の子どもたちに愛されている作品である。

 最近のことだが、『ぐりとぐら』をはじめとする息の長い絵本が商業的にもロングセラーであることを数字で表している資料を見た。残念ながらその部分だけがコピーされたものを見たので、どの文献に載っていた資料かはわからない。ただ、データの出所として大手の書籍流通業者の社名が表示されているので、信頼できる数値だと思われる。
 『ぐりとぐら』は、1967年1月の出版以来今年の夏までの40年で、約396万部の売り上げを記録している。書籍はどれぐらい売れたらベストセラーと言うのか私にはわからないが、396万部って驚異的な数字ではないだろうか。なお、『ぐりとぐら』の上を行く作品がひとつあり、それは同じく1967年が初版で累計405万部の『いないいないばあ』である。松谷みよこさんのこの作品は、子どもが最初に出会う絵本として非常に評価されていて、これだけ売れているのも納得できる。『いないいないばあ』、『ぐりとぐら』に続く第3位は、エリック・カール氏の『はらぺこあおむし』の290万部である。これは1976年が日本語訳の初版なので、前の2作のように40年経る頃には十分350万部は越えるだろう。
 奇しくもこれらの3作はすべて私が以前書いたブログ内に挙がっている。「どれくらい売れているか」を全く知らずに書いたのだが・・・。小さな子がいる家庭に贈られたり、購入されたりする本としてスタンダードな人気を誇っていることを、売り上げ部数が証明している。

 その資料によれば、累計部数が100万部を超えているロングセラー絵本は75冊ほどあるようで、それらのタイトルの一覧を見ると、もらったり、買ったり、図書館で借りたりして子どもに読み聞かせたことがあるものが大半を占めている。「ぐりとぐら」シリーズなどの中川李枝子さんと山脇百合子さんコンビの作品、松谷みよこさんや加古里子(かこさとし)さんのクラッシックともいうべき名作品類、ブルーナのミッフィー(うさこちゃん)シリーズは当然複数挙がっているし、キヨノサチコさんの「ノンタン」のシリーズは『ノンタンぶらんこのせて』など10冊ぐらい入っている。『三びきのやぎのがらがらどん』、『しょうぼうじどうしゃじぷた』、『ぞうくんのさんぽ』などなど、我が家の子どもたちが大好きな絵本もいっぱいだ。
異色なところでは、滝平二郎さんの切り絵のイラストが見事な『モチモチの木』や『花さき山』のような子どもよりも大人が喜ぶ作品もある。『モチモチの木』は、娘の国語の教科書にイラストそのままに載っていたし、私が小学生(何年生かは忘れた)の時に読書感想文を書いた記憶がある。

 1960~70年代に出版された良作絵本が、これからも何世代にわたっても読み継がれていけるように、出版業界も書店も図書館もこれらの絵本を絶やさないようにしてほしいと切に願う。私に孫ができたら、また『ぐりとぐら』や『いないいないばあ』を買って読み聞かせてやりたい。

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